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11月, 2019の投稿を表示しています

老いの現代生物学:私たちはなぜ老いるのか

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老いの現代生物学:私たちはなぜ老いるのか はじめに 老いは私たち動物の多くにとって、最も大きな苦しみの原因の一つである。そこで、いかにして老いを食い止めることができるのか、若返りは可能か、不老不死は(様々な意味で)良いことなのか、あるいはそもそも、老いをどのように定義し、どう分類すべきなのか、など、老いに関して問うべきことは多くある。 だが実は、そもそも第一に問うべきことの一つ、「私たちはなぜ老いるのか」という問いに対しても、コンセンサスの得られた答えはまだ与えられていない。ここでは、老いに関するいくつかの競合する理論や仮説を概説したKunlin Jinの論文  "Modern biological theories of aging."  (2010) を紹介する。 Jin, Kunlin. "Modern biological theories of aging."  Aging and disease   1 (2) (2010): 72. 概要だけ紹介しようと思ったが、あまりにコンパクトにまとまっているので、全訳載せさせてもらうことにした。以下はすべてその論文の内容である。 ■概要 近年の分子生物学および遺伝学における進歩にもかかわらず、ヒトの寿命を制御する謎はまだ解明されていない。 プログラム理論とエラー理論という二つの主なカテゴリーに分類される多くの理論が、老化の過程を説明するために提案されてきたが、どちらも完全に満足のいくものではないように思われる。これらの理論は複雑に相互作用している可能性がある。既存および新たな老化理論を理解し検証することで、順調な老化を促進することが可能になるかもしれない。 ■老化の理論 なぜ私たちは年をとるのか?私たちはいつ老化を始めるのか?老化のマーカーは何か?私たちが成長できる年齢に限界はあるのか?これらの問いは、過去数百年の間、人類によって深く考えられてきたことである。しかしながら、近年の分子生物学および遺伝学における進歩にもかかわらず、ヒトの寿命を制御する謎については、未だに解明されていない。 老化の過程を説明するために多くの理論が提案されてきたが、そのどれも完全に満足のいくものではないようである(1)。伝統的な老化理論は、老化は適応で

ベネターの厭人主義的アンチナタリズム

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ベネターの厭人主義的アンチナタリズム これは" Permissible Progeny?: The Morality of Procreation and Parenting " (2015) 内でデイヴィッド・ベネター(David Benatar)が担当した一章 "The Misanthropic Argument for Anti-natalism. Permissible Progeny: The Morality of Procreation and Parenting" の要約と抜粋である(同様の内容が『 Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce? 』にも収録されている)。 注意として、Appendixは扱っていない。また、訳注と参考文献および本文中のそれらの指定は、必要なもの以外は略してあるため、原文をあたってもらいたい。 abstractはそのまま引用する: この章は、アンチナタリズムを支持する厭人主義的な道徳的議論を提示する。この議論に従えば、我々は多大な危害をもたらす種に属する新たな一員を生み出すことを思いとどまる推定義務を負っていることになる。人類本性には、人類を他の人間やヒトでない動物に多大な痛み、苦しみ、そして死をもたらすよう導く邪悪な側面があるという広範な証拠が与えられる。一部の危害は環境破壊を通してもたらされる。その結果生じる新たに人間を生み出さないという推定義務は、例え打ち負かされることがあったとしても非常に稀なものとなる。すべての厭人主義が人間の道徳的過ちに関するものではない。この章に続くappendixにおいて、生殖に反対する美的考察が提示される。 ベネターが著書『 Better Never to Have Been 』などで議論しているのは、存在を得るあらゆる知覚ある存在への配慮から生殖に反対する立場である博愛主義的アンチナタリズムであるが、彼がここで議論するのは、その圧倒的な有害性から、ホモ・サピエンスという種に属する個体を新たに生み出すことに反対する厭人主義的アンチナタリズムについてである(博愛主義的議論の一つのアプローチである非対称性に基づく議論については、 コチラ を参照)。 厭人主義的な議論は、

私たちの物語

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私たちの物語 ――語られるべき、私たちの物語について。 First written: 11 Nov. 2019; last update: -- --. ---- ▶Introduction 多くのものたちが、目隠しをされ、海に投げ込まれている。彼らは自分たちの状況を理解することもできず、ただ溺れないようにもがいている。 あなたもその一員である。だが、あなたは闇雲にもがいた結果、流れに乗り、幸運にも岸にたどり着くことができた。目隠しも外れ、自分が流れてきた方向を振り返ると、悲惨な光景が目に入ってくる。 誰もが死を恐れてパニック状態であり、自分が溺れてしまわないように、別の誰かを犠牲に必死で息を繋ごうとするものや、闇雲に暴れるためにますます溺れてしまうものも多い。 さて、あなたは彼らを救助するために何らかの努力をするだろうか? あるいは何もせずその場を立ち去るだろうか? もう一つ、別の質問をしよう。 「彼らは、自分たちが置かれている状況を理解していない」ということが、彼らを「救わない」理由になると思うだろうか? ▶自己複製子の誕生 "我々は生存機械、すなわち遺伝子として知られる利己的な分子を保存するために盲目的にプログラムされた、ロボットの乗り物なのだ。" ―リチャード・ドーキンス, "利己的な遺伝子" 1976年版 前書きより 私たち地球上の生物の歴史は、少なくとも約40億年以上前、ある特殊な性質を持つ分子が誕生したことに端を発している。その特殊な性質とは、自己複製の能力、すなわち自分自身のコピーを生み出す能力である。この種の能力を持つ情報ユニットは自己複製子と呼ばれる。 最初の自己複製子がどんな場所で誕生したのかはまだ明らかではない。海底なのか地上の温泉地帯なのか、あるいはまた別の場所なのか。いずれにしてもそこには、当然限りはあるが、自己複製子が自身のコピーを作るのに必要な資源は豊富であったはずだ。 自己複製の性質により、その自己複製子は周りの資源を利用し、自らのコピーを増やしていった。だが、あらゆる複製過程にはゼロでないエラーの可能性が伴う。そのため、もともと祖先を同じにする自己複製子たちも、様々な複製ミスを経て、次第に異なる変種として