私たちの物語

私たちの物語


――語られるべき、私たちの物語について。

First written: 11 Nov. 2019; last update: -- --. ----

▶Introduction


多くのものたちが、目隠しをされ、海に投げ込まれている。彼らは自分たちの状況を理解することもできず、ただ溺れないようにもがいている。

あなたもその一員である。だが、あなたは闇雲にもがいた結果、流れに乗り、幸運にも岸にたどり着くことができた。目隠しも外れ、自分が流れてきた方向を振り返ると、悲惨な光景が目に入ってくる。

誰もが死を恐れてパニック状態であり、自分が溺れてしまわないように、別の誰かを犠牲に必死で息を繋ごうとするものや、闇雲に暴れるためにますます溺れてしまうものも多い。

さて、あなたは彼らを救助するために何らかの努力をするだろうか? あるいは何もせずその場を立ち去るだろうか?

もう一つ、別の質問をしよう。

「彼らは、自分たちが置かれている状況を理解していない」ということが、彼らを「救わない」理由になると思うだろうか?


▶自己複製子の誕生



"我々は生存機械、すなわち遺伝子として知られる利己的な分子を保存するために盲目的にプログラムされた、ロボットの乗り物なのだ。"
―リチャード・ドーキンス, "利己的な遺伝子" 1976年版 前書きより

私たち地球上の生物の歴史は、少なくとも約40億年以上前、ある特殊な性質を持つ分子が誕生したことに端を発している。その特殊な性質とは、自己複製の能力、すなわち自分自身のコピーを生み出す能力である。この種の能力を持つ情報ユニットは自己複製子と呼ばれる。

最初の自己複製子がどんな場所で誕生したのかはまだ明らかではない。海底なのか地上の温泉地帯なのか、あるいはまた別の場所なのか。いずれにしてもそこには、当然限りはあるが、自己複製子が自身のコピーを作るのに必要な資源は豊富であったはずだ。

自己複製の性質により、その自己複製子は周りの資源を利用し、自らのコピーを増やしていった。だが、あらゆる複製過程にはゼロでないエラーの可能性が伴う。そのため、もともと祖先を同じにする自己複製子たちも、様々な複製ミスを経て、次第に異なる変種として種類を増やしていった。

こうして有限な資源の中で変種が混在するようになると、今度は変種間の性質の差によって、盲目的な「競争」が勃発する。こうして、より安定的で複製の効率や精度の高い変種ほど数を増やし、反対に不安的であったり、複製の能力の低い変種は淘汰されていった。

もちろん、これらは感情も意識も持たない分子であり、いかなる欲求も関心も持っていない。しかし、限りある資源を奪い合い、複製に長けたものが数を増やしていくこのプロセスこそ、自然淘汰に基づく進化のプロセスである。

最初の自己複製子がどんなものであったかについても未だ議論は続けられている。しかし、一つ確かなことは、どこかのある時点で、DNA分子がその役割を担うようになったということである。そして、時と共に変異を重ねていった自己複製子は、やがて細胞という膜の中に、DNAが身を隠す形にたどり着いた。

DNAにとっての要塞であり、自己複製の工場でもあるこの細胞という構造も、もちろん何らかの意図をもってではなく、わずかな偶然による変異が積み重なった結果、自然淘汰で有利に働いたために獲得されたのである。

重要なことは、この細胞がたくさん集まってできた私たち多細胞生物の身体も、依然としてDNAにとっては盾であり、道具でしかないということである。リチャード・ドーキンスの言葉をして「生物体はDNAの利益のために存在していて、その逆ではない」(Dawkins 1976)。


▶意識と苦しみの夜明け



"意識的自己モデルが物理的世界に快楽や喜びを最初に持ち込んだことは事実である…しかし、心理学的進化が永遠の幸福へと私たちを最適化しないこともまた明らかになりつつある。心理学的進化は私たちを永遠の幸福へと最適化したのでは決してなく、反対に快楽のための回し車に乗せたのだ。"
―トーマス・メッツィンガー, "エゴトンネル"

惑星地球における最大の事件は、自己複製子の誕生でも、安定的な生物という構造の誕生でもない。それは、生物が進化の過程で意識というものを獲得したことである。これさえなければ、(少なくとも地球上では)悲劇や事件という概念も意味を成すことはなかった。

主観的経験を生み出す意識は、究極的には物理的過程に還元されるだろうとはいえ、一つの特有な質を有した現象である。この意識がどう生じるのか、意識にどんな役割があり、どんな進化的利点があるのか、といったことも未だ深い謎である。それが地球上でいつ生じたのかということも不明であるが、一部の研究者たちは、意識の夜明けは今から約5億年前のカンブリア紀に遡ると考えている(Feinberg and Mallatt 2013)。

意識について多くの謎が残されているとはいえ、一つ確実に言えることがある。それは、意識の起源は、あらゆる苦しみの起源であり、したがってまた、あらゆる価値や問題の起源であるということだ。

上で引用した研究者らの仮説が正しく、かつ意識の獲得と同時期に痛みや他の苦しみを感じる能力が発達させられたとするなら、この地球上では、5億年にもわたり、計算不能な規模の苦しみが生み出されてきたということになる。

意識的知覚を持つ動物たちの一生が、喜びよりも圧倒的な苦しみに支配されていたということは間違いなく言える。苦痛に鈍感な個体は、繁殖をする前に息絶える可能性が高く、したがってその個体に属する遺伝子は次世代にコピーを残すことはできない。脳みそは自身を駆り立てるためにまだ得ていない快楽を過大評価し、快楽は運よく手にしても途端に別の快楽に対する欲求不満に変わる。欲求不満を感じない個体は、繁殖行動や、繁殖のためのリソース収集に積極的になる動機を得られないために、貪欲な個体に出し抜かれる。

鈍感で満足した個体は、DNAの一時的な要塞としても、複製工場としても役立たずであり、何世代にもわたってその性質を保持することはできない。競争を勝ち抜く遺伝子はいつも、神経質で、飽きっぽく、欲求不満に駆り立てられた個体に属するものたちである。遺伝子にとっての利益は個体の利益と決して一致しないだけでなく、遺伝子にとっての利益は、個体の苦しみの根源ですらあるのだ。


▶生命の営み



"醒めた真実として、人間が他者に行ったならば、吊るし上げられ投獄されるようなことのほぼ全てが、自然にとっては日常的な営みである。"
―ジョン・スチュアート・ミル, "On Nature"

意識が誕生して以降も、生物たちは相変わらず盲目的な軍拡競争を続けてきた。彼らの多くは、遺伝子を次世代に引き継がせるために、成熟する個体の数よりも多くの子供を生み出す。一度に多くの子供を生み出し、そのうち一個体からほんの数個体が生き延びることを期待して資源を投資するのだ。

言い換えれば、この世界に産み落とされる動物の大半は、生まれてすぐに死んでいく。しかも、多くが生まれてすぐに外界に対応しないといけないため、成熟の早い早成動物であり、生まれて間もなく、あるいは生まれる段階から意識的な知覚を持っていると考えられる(EFSA 2005)。すなわち、この世界に生を受ける動物の大半は、ただ苦しみを経験し死ぬためだけに生まれてくるのだ。

また、例え繁殖可能な段階まで生き延びたとしても、彼らの生が悲惨なものであることに変わりない。自然界には、飢餓、渇き、病、そして捕食や寄生が日常に溢れている。例えば捕食の恐怖も深刻なものだ。鋭い歯や爪によって、生きたまま身体を解体されることや、長い時間かけて窒息死させられることに伴う苦しみが耐え難く恐ろしいものであることは想像に難くない。幸い捕食者から逃れられても、辛い心理的後遺症が残る。いくつかの研究で、彼らがASDやPTSDに苦しむ可能性が示されている (El Hage et al. 2006; Zoladz 2008)。

ここ5億年に渡る生命の歴史は、途方もない苦しみの歴史なのだ。


▶ホモ・サピエンスの誕生



"動物たちは歴史における主な被害者である。そして、工業畜産場における畜産動物たちの扱いは、おそらく歴史上最悪の罪であろう。"
―ユヴァル・ノア・ハラリ,
ピーター・シンガー著 "Animal Liberation"のIntroduction より

自己複製子の誕生や意識の誕生に続く生命史における重大事件の一つは、40億年に渡る生命の歴史、5億年に渡る意識の歴史の中では、極めて最近である約20万年ほど前に起こった。それは、霊長類の一種として、ホモ・サピエンスという種が形成されたことである。

ホモ・サピエンスの誕生は、苦しみの業火に包まれる生命の営みに油を注ぐ結果となった。ホモ・サピエンスはみるみるうちに、惑星の地表全体に生息域を広めたが、ホモ・サピエンスが新たに足を踏み入れた地では、例外なく著しい数の生物種が絶滅に追い込まれた(Harari 2014)。

ホモ・サピエンスは文明を築いて以来も、同種、他種問わず、様々な形で途方もない危害を及ぼしてきたが、その中でも最悪の行いが、工業畜産の発明である。

これは、何百億もの動物を強制的に生み出して狭い檻に詰め込み、悲惨な生を過ごさせた末に殺害するシステムであり、生命のサイクルを、そこからいかなる慰めも取り除いて凝縮した、地球上で最も苦しみが集中的に産出されるシステムである。

ホモ・サピエンスの貪欲と暴力性を具現化したこのグロテスクなシステムは、(バイオマス換算で)地表の哺乳類の9割がホモ・サピエンスとそれによって家畜化された動物が占めるような事態にまで至らせた(Bar-On et al. 2018)。その結果、地球全体の気候に劇的な変化をもたらし、大量の間接的な死ももたらしている。


▶私たちの物語



"人類はダーウィン的マルウェアかもしれないが、苦しみを終焉させることができる唯一の種でもある。"
―デイヴィッド・ピアース 2018年12月7日付のtweet

生命40億年の歴史を24時間に置き換えれば、ホモ・サピエンスが誕生したのはたかだか数分前の話である。だがホモ・サピエンスは、自身によって状況をさらに悪化させたこの苦しみの歴史を振り返り、歪曲された認識を通して「自然の美しさ」や、「生命のサイクルの神秘」について語るのである。

しかし、ほんの少数の割合の個体は、私たち生物が歩んできた歴史について正しい認識をし、その不合理さについて理解するにも至った。――生命の物語は、自己複製する分子の誕生に端を発しており、本質的に意味も目的もない。知覚を持つ動物も、この自己複製子の複製のための道具でしかなく、盲目的な自然淘汰にその運命を任せる限り、私たちが苦しみから解放されることはないのだ、と。

自然淘汰によって自己複製子の利益のためにデザインされた私たち動物を苦しみから解放する術は、少なくとも二つ存在する。

一つは、私たち自身の手で、私たちの設計図を書き換えるということである。私たちのゲノムは、互いの利益と運命を共有した自己複製子たちの集まりである。今や私たちは、この配列にメスを入れ、編集を行うことができる。

もう一つはより根本的な解決法であり、元々意味も目的もないこの生命のサイクルを終焉させることである。その具体的な方法の一つとしても、ゲノムの編集が有効になる。

さて、このことを理解しているのは、私たち動物のうちでも、ほんの少数である。大半の動物たちは、未だに自分たちがどんな状況に置かれているのかを理解していない。

ホモ・サピエンスの個体も例外ではなく、多くのものは、苦しみの原因を理解することができないために、自分の苦しみを遠ざけることに精いっぱいで、周囲で何が起こっているかを正しく認識することができていない。結果的により深く苦しみに溺れ、状況を悪化させている。

だが、「彼らは、自分たちが置かれている状況を理解していない」ということが、彼らを「救わない」理由になると思うだろうか?

答えは否であろう。

私たちが進化の歴史の中で、たまたま岸にたどり着いたことは単なる偶然でしかない。このノンフィクションの「私たち」の物語は、「苦しみ」の物語であり、苦しみの歴史を共有するすべてのものたちの物語なのである。

私たちにできることは、まずこの私たちの物語を正しく語ることである。

そうして、苦しみは、特定の誰かが不運によって経験しているものではなく、私たち意識を持つ生物に運命づけられたものであり、全員で共有するものなのだという認識を広め、この物語を終焉させるために働くものを、一体でも多く増やすしていくのである。

ホモ・サピエンスの一部がこの認識に至ったことが、私たちの物語における重要な事件の一つに加わることを目指して。


▶参考文献


  • Bar-On, Y. M., Phillips, R., & Milo, R. (2018). The biomass distribution on Earth. Proceedings of the National Academy of Sciences, 115(25), 6506-6511.
  • Dawkins, R. (1976). The Selfish Gene. Oxford University Press.
        ――(1991).  利己的な遺伝子. 日高敏隆 他 訳. .紀伊國屋書.
  • El Hage, W., Griebel, G., & Belzung, C. (2006). Long-term impaired memory following predatory stress in mice. Physiology & behavior, 87(1), 45-50.
  • European Food Safety Authority (EFSA) - Animal and Welfare Scientific (ANAHAW) Panel. (2005). Aspects of the Biology and Welfare of Animals Used for Experimental and Other Scientific Purposes. EFSA Journal. 292: 1-136
  • Feinberg, T. E., & Mallatt, J. (2013). The evolutionary and genetic origins of consciousness in the Cambrian Period over 500 million years ago. Frontiers in psychology, 4, 667.
  • Harari, Y. N. (2014). Sapiens: A brief history of humankind. Random House.
        ―― (2016) サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福. 柴田裕之 訳. 河出書房新社.
  • Metzinger, T. (2009). The Ego Tunnel: The Science of the Mind and the Myth of the Self. Basic Books.
        ―― (2015) エゴ・トンネル―心の科学と「わたし」という謎. 原塑,  鹿野祐介 訳. 岩波書店.
  • Mill, J. S. (1885). Nature, the utility of religion, and theism. Longmans, Green.
  • Zoladz, P. R. (2008). An ethologically relevant animal model of post-traumatic stress disorder: Physiological, pharmacological and behavioral sequelae in rats exposed to predator stress and social instability.


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