アンチナタリズム入門 ~わかりやすいアンチナタリズムの解説~アンチナタリズムとは何であり、何でないのか

アンチナタリズム入門

~わかりやすいアンチナタリズムの解説~

アンチナタリズムとは何であり、何でないのか


Kei Singleton

First written: 23 Oct. 2017; last update: 27 Oct. 2018

はじめに


アンチナタリズムという思想の認知度は着実に上がっており、関心を持つ人も増えていますが、同時に様々な混同や誤解も見られるようになって来ています。ここでは、アンチナタリズムとはどんな思想なのか、そしてどんな思想ではないのかを、出来るだけシンプルな形で解説します。

Keywords: アンチナタリズム、反出生主義、エフィリズム、生殖の倫理、デイヴィッド・ベネター

I.アンチナタリズムとは何なのか


アンチナタリズム(Anti-natalism)とは、子供を作ることを推進するnatalismに反対で、「子供を作るべきではない」と考える立場です。ここでの「べきでない」 というのは通常、道徳的に悪いことだからしてはいけない、ということを意味します※1(以下この記事中では、特に断りのない限り、アンチナタリズムとはこの倫理的アンチナタリズムを指すこととします)。

(日本語では「反出生主義」と言う訳語があてられることもありますが、このブログではアンチナタリズムで統一します。「反出生主義」と「アンチナタリズム」はそれぞれ独立に広まっており、一般的には「反出生主義者」を名乗る人たちは、道徳的立場の表明として用いていないか、道徳的な立場として不十分な場合が多いためです)

では、子供を生むことはどうして道徳的に悪いことだと考えられるのでしょうか?それには様々な理由があるのですが、代表的なものをいくつか紹介したいと思います。

I-1.生まれることで、誰かに悪影響をもたらすから


これは、特に人間に関する見方ですが、人間は地球の歴史上最大規模の大量絶滅を引き起こしたり、他の動物たちも巻き込みながら、人間同士の大規模な争いを繰り返したりをしてきました。もし他にこんなに破滅的な動物がいたら、私たちはこの動物を新たに繁殖させるべきではないと考えるでしょう。これが、人間はこれ以上子供を作るべきではない、と考える理由の一つです(この考えを基にする立場を「厭世主義的アンチナタリズム」と呼びます)。


I-2.生まれることでたくさんの苦しみを経験するから


人間でも、人間でない動物でも、知覚や感情を持つ動物は、生まれてくることで色々な苦しみを経験しないといけません。人間であれば、一生のうちに病気や怪我を全くしないという人はまずいないでしょうし、人生には悲しいことや空しいこと、胸を痛めることや満たされないことがたくさんあります。人間でない動物はもっと大変です。そして人間も人間でない動物も、いつかは必ず死を迎えます。多くの場合、それは酷い苦しみを伴います。 よって、子供にとって生まれてくることは望ましくないことだと考えるのです(この考えを基にする立場を「博愛主義的アンチナタリズム」と呼びます)。

「生まれてくることで感じられる喜びもあるじゃないか」、と考えるかもしれません。しかし、生まれていなければ喜びを感じないことで困ることはありませんし、生まれてきた子供の一生が、苦しみより喜びが勝る一生になるかは誰も保証できません(これに対するより詳しい説明は『アンチナタリズムFAQ - よくある質問と返答』を参照)。

それに、そもそも私たち動物は、放っておけばすぐに、お腹が空いたり、喉が渇いたり、性的な欲求を感じたりと、不快な感覚(ネガティブな感覚)を抱きます。そして喜びや楽しみというのは、それらの欲求を満たした時に感じられるもので、初めからそのようなネガティブな感覚を埋め込まれた状態で存在しなければ、喜びを求める必要すらない、と考えることもできます(この考えを基にして導かれた思想が「エフィリズム」と呼ばれるものです)。



この疑問に対する返答の続きは、次の項でも取り扱います。

I-3.子供を作ることは自分勝手なことだから


もう一つ大事なことは、子作りは100%すでに存在しているものたちのために行われるものだということです。生れてくる子供は、当然、生まれたいか生まれたくないかを判断することができません。親が自分たちの喜びのために子供を作ったり、社会やなにかしらのコミュニティがその存続のために子供を作らせることは、いわば子供を一種の道具として利用するということです。誰かを私欲のために利用することは道徳的に悪いことと言わざるを得ません。


これはまた、アンチナタリズムを支持する理由として先に挙げた「生まれることでたくさんの苦しみを経験するから」という理由とも深く関係します。つまり、生まれることで感じられる喜びもあるかもしれませんが、それがどの程度なのかは予測がつきません。一方である程度の苦しみを感じることは保証されているばかりか、世の中には事故や犯罪や自然災害や病気など、絶望的な苦しみを感じ、人生の質を一気に下げてしまう要因がいたるところに潜んでいます。いわば、生を与えることは親による一種のギャンブルであり、しかも結果の影響を受けるものは、同意していない子供であるという不公平なものなのです。

それに相手が喜ぶかどうかわからないのに、きっと喜ぶだろうと勝手に判断をして、代償の伴うことを押し付けることは通常受け入れられません。例えば、友達が机の奥にしまいっぱなしにしている宝石を、どうせ使わないだろうし、原価より高く売れる良い売り先を知っているから、と言って、勝手に売ってしまうのは良いことではありません。もしかしたら友人はその宝石に、お金には替えられない特別な思い入れがあるかもしれません。同じように「子供だって、きっと生まれてきて幸せになるだろう」と勝手に判断しても、子供自身が(たとえどれだけ恵まれていようと)本当に生まれてきてよかったと思うかどうかは、誰も確信をもって言うことは出来ません。

そのため、例え結果論として子供が(人生のある時点で)生まれて良かったと思ったとしても、その行為自体は正当化されるものではないのです(より詳しくは『「生まれてよかった」は生殖を正当化しない―シフリンの原理と承認による反論』参照)。

これらが子供を生むべきでない、と考える主な理由です。 これらの理由は必ずしも互いに独立したものではなく、様々な理由を同時に支持することも出来ます。これらのより詳しい分類は『アンチナタリズムの分類』を参考にしてください。次に、よくある誤解や混同を紹介し、それらの解消を試みながら、アンチナタリズムとは何でないのかを説明します。

II.アンチナタリズムとは何でないのか


II-1.子供嫌いや、子持ちいじめではない


上に挙げた理由を見てもわかるようにアンチナタリズムは、(特に人間の)子供が好きか嫌いかということとは全く関わりがありません。子供の大嫌いなアンチナタリストもいるでしょうし、子供が大好きなアンチナタリストもいるでしょう。また、すでに生まれた子供を引き取って親になるアンチナタリストもいれば、自身で子供を作った後にアンチナタリズムを理解し、アンチナタリストとなるという人も中にはいるでしょう。

それと、子供を作ることは道徳的に悪いことですが、だからと言って子供を作った人に迷惑なことをしたり、嫌がらせをするようなことを正当化することにはなりません。また、子供を作ることの責任を女性のみに負わせるものでもありません。

II-2.「生みだすべきではない」であって「生まれたくなかった」ではない


アンチナタリストは、自分が生まれてきたことを嘆いているわけではありません。中にはそういう人もいるかもしれませんが、アンチナタリズムという思想とは直接に関係はありません。最初に説明したように、アンチナタリズムは「生みだすべきでない」であって、「生まれたくなかった」という個人的な嘆きではないのです。

例えば、自分はたまたま恵まれた環境に生きているが、世の中にはそうでないものたちがたくさんいて、新たに生まれてくる子供がどちらの側になるのかはわからないし、不幸なものたちを助けようといくら努力してもきりがなく、そもそも動物は生まれてこない方が良いのではないか、という考えに至り、アンチナタリストになる人は多くいます。

II-3.「始める価値がない」であって「続ける価値がない」ではない


I-2(博愛主義的アンチナタリズム)で説明しているのは、生きることは多くの苦しみが伴うことで、生まれない方が子供にとって良いということです。しかし、これに対して「生きることが辛いなら、なぜ自殺しないのか」とか「人生に生きる価値がないなら、みんな早く殺してあげた方がいいんじゃないか」という疑問を挙げる人がいます。

これは、 博愛主義的アンチナタリズムの主張を誤解していることから生じる疑問です。博愛主義的アンチナタリズムが前提にしているのは、動物の一生は「始める価値がない」ということで、すでに始まったものがすべて「続ける価値もない」ということは意味していないのです。どういうことかというと、まだ生まれていないものは、喜びを感じたいという思いや、楽しいや物足りないなどの感情を持っていません。よって苦しみを感じさせないように、存在しないままにしておくことが良いと考えるのです。一方で、すでに存在しているものは、今の状況が楽しいから続けたいとか、死ぬのが怖いし、自分が死んだら家族が悲しむだろう、などの様々な思いを持っています。よって、存在させないことと存在をやめさせることは違うのです(これらのより詳しい説明は『アンチナタリズムFAQ - よくある質問と返答』を参照してください)。

生は始める価値がなくとも、続ける価値がないとは限らない、ということを説明するためにデイヴィッド・ベネターは次のようなたとえ話をしています:

この種の現象は珍しいことではありません。例えば、その劇場での演劇は、途中で観るのをやめるほど悪くはないかも知れませんが、それがどれほど悪いかということを事前に知っていたとすれば、はじめから観に来なかっただろう、といった例です。―エッセイ『子供?お断りしましょう

そしてまた、博愛主義的アンチナタリズムの基本的な主張は、「同意も得られない他者に苦しみや死を一方的に押し付けるべきではない」、ということであるため、「誰かを不必要に苦しめてはいけない」という主張に対して「じゃあ自殺すればよい」とか「じゃあ生きている人も殺せばいい」という返しは奇妙なことだとわかるでしょう。

II-4.その他混同されやすい考え


・道徳的ニヒリズム

道徳的ニヒリストは、この世界に善も悪もなく、道徳は存在しないと考えます。しかし、これまで見てきたとおり、アンチナタリズムは子供を作ることは悪であると考える一つの道徳的な立場です。よって、道徳的ニヒリズムとアンチナタリズムは決して調和することのない思想です。恐らく多くの人はニヒリズムとペシミズム(悲観主義)を混同しています。ペシミズムはこの世界には悪いことの方が圧倒的に多いと考える立場ですが、これは一つの理性的な見方であり、アンチナタリズムとも調和します。

・優生思想や差別思想

アンチナタリズムは、能力の高いものなら生まれてもいい、社会の役に立つものなら生まれてもいい、などの考えを含んでいません。博愛主義的な見方で見れば、どれだけ潜在的に恵まれたものでも、生きることには多くの苦しみが伴いますし、予期せぬ不幸が多く潜んでいます。厭世主義的な見方からすれば、どんな人間でも他者への危害は避けられません。それは、例えビーガンの子供を育てるとしてもです。

それに、ミソジニー(女嫌い)やミサンドリー(男嫌い)、そして人種差別の思想とも別物です。これらの考えを持つものたちは、子供を作ることを問題にしているというよりは、すでに生まれたものを含め、特定の性別や人種に属するものを嫌悪しているため、これらの考えはアンチナタリズムとは別のものです。

・チャイルドフリー

これは、理由を問わず子供を持たない選択をすることを言います。先に述べたように、子供を育てるアンチナタリストというのもありえるため、アンチナタリストは必ずしもチャイルドフリーではありません。

・新マルサス主義

これは、人口を制限することで、人間一人あたりに分配できる資源の量が増え、貧困を回避できるという考えに基づいた思想です。この思想も、アンチナタリズムと言えばアンチナタリズムですが、理想的な人口が保たれている場合は子供を作ることを必ずしも悪いこととみなさないため、より一般的なアンチナタリズムの立場とは区別されます。

・反性交、反恋愛、反婚姻主義

生殖能力のある異性同士のものであっても、避妊をしっかり行うのであれば性交自体は否定されません。望ましいことではないため、可能な限りそうならないように予防すべきではありますが、万一の場合は中絶という選択もあります(中絶に反対する立場であるなら、妊娠の可能性のある性行為は極力すべきではなでしょう)。恋愛や結婚についてはなおさらアンチナタリズムとは関係がありません。(アンチナタリズムと中絶については『アンチナタリズムFAQ - よくある質問と返答』の「中絶についてはどう考えるの?」参照)

・反ホモサピエンス出生主義

生まれることで苦痛を経験するのはヒトだけではありません。工業畜産場には、少なくとも数百億の動物たちが、ほとんどのヒトの一生とは比べ物にならないほど悲惨な生を送るために出生させられ、毎秒3000匹が屠殺場で殺害されています。


ペット産業や実験動物なども考慮に入れれば、その数はさらに増します。博愛主義的アンチナタリズムやエフィリズムを支持するのであれば、これらの営みや、消費などを通してこれらを支持することにも当然反対しなければなりません。人為的な繁殖による種の保全活動なども同様の理由から間違いであるとみなされます。一方、厭世主義的アンチナタリズムの観点からしても、ヒトによる最も大きな被害を受けているのはヒトでない動物たちであり、その典型的な例が繁殖を前提とする動物産業であるため、動物産業を支持することは結局矛盾した態度になります。(人工知能が意識を持ったならば、などの議論もあります。関連する内容としては『ロボット倫理:反種差別主義とアンチナタリズムの観点から』参照)

・絶滅を第一の目的とした思想

改めて、アンチナタリズムは生殖という行為が道徳的に間違いであるという思想であって、絶滅はその道徳的判断に従った場合の結果にすぎません。初めに何が何でも絶滅させるべき、という考えがあるわけではないため、「絶滅を望むアンチナタリストは危険なテロ思想だ」という懸念は全く的外れなのです。

おしまいに~より進んだ議論は


これらが、アンチナタリズムの簡単な説明です。関心のある方は、関連する記事として例えば
などを参照してください。

より進んだ疑問をお持ちの方は『アンチナタリズムFAQ - よくある質問と返答』を参照してください。

その他、アンチナタリズムに関する、より多くの情報が知りたい方はタグ:エフィリズム/アンチナタリズムあるいは『The Real Argument』を参考にしてください。

推薦図書

1.Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence/ David Benatar
やはり第一にお勧めするのは、アンチナタリズムの代表的著書であり、基本的な議論を包括的に扱ったデイヴィッド・ベネターの『Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence』です。

邦訳版『生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪』も出版されていますが、簡単に目を通したところかなり読みづらそうです。原文で読めるのなら、そちらをお勧めします。

2.Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce?/ David Benatar and David Wasserman
ベネターの議論をもう少しコンパクトに知りたいという人にはこちらです。前半はベネターの議論、後半はナタリスト側の立場からデイヴィッド・ワッサーマンが議論しています。


3.Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar/ Ken Coates
ヒンドゥー教や仏教から、ショーペンハウアー、実存主義哲学、そしてベネターと、拒絶主義(アンチナタリズムよりも広い意味で、存在に対して否定的な見方をする哲学的立場)に関連する思想の流れを概観しています。


4.エゴ・トンネル――心の科学と「わたし」という謎/ トーマス・メッツィンガー
心の哲学の分野で著名なトーマス・メッツィンガーによる著書の邦訳。アンチナタリズムという用語は出てきませんが、アンチナタリズム的議論を各所で展開しているメッツィンガーが、意識の獲得がなぜ悲劇であったのか、そしてなぜそれを再生産することが好ましくないのか、ということについても語っています。

――――――――――――

Notes

※1. 厳密にはアンチナタリズムは必ずしも哲学的・倫理的理由から生殖に反対するものとは限らない。そのため、哲学的・倫理的理由を基にする生殖への反対的立場を表す言葉として「Rejectionism(拒絶主義)」という用語もある。しかし、一般的にはアンチナタリズムも道徳的見解の一つを意味するため、この点で誤解や食い違いが生じることはほとんどない。Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar




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