ベネターの厭人主義的アンチナタリズム

ベネターの厭人主義的アンチナタリズム


これは"Permissible Progeny?: The Morality of Procreation and Parenting" (2015) 内でデイヴィッド・ベネター(David Benatar)が担当した一章 "The Misanthropic Argument for Anti-natalism. Permissible Progeny: The Morality of Procreation and Parenting" の要約と抜粋である(同様の内容が『Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce?』にも収録されている)。

注意として、Appendixは扱っていない。また、訳注と参考文献および本文中のそれらの指定は、必要なもの以外は略してあるため、原文をあたってもらいたい。


abstractはそのまま引用する:

この章は、アンチナタリズムを支持する厭人主義的な道徳的議論を提示する。この議論に従えば、我々は多大な危害をもたらす種に属する新たな一員を生み出すことを思いとどまる推定義務を負っていることになる。人類本性には、人類を他の人間やヒトでない動物に多大な痛み、苦しみ、そして死をもたらすよう導く邪悪な側面があるという広範な証拠が与えられる。一部の危害は環境破壊を通してもたらされる。その結果生じる新たに人間を生み出さないという推定義務は、例え打ち負かされることがあったとしても非常に稀なものとなる。すべての厭人主義が人間の道徳的過ちに関するものではない。この章に続くappendixにおいて、生殖に反対する美的考察が提示される。

ベネターが著書『Better Never to Have Been』などで議論しているのは、存在を得るあらゆる知覚ある存在への配慮から生殖に反対する立場である博愛主義的アンチナタリズムであるが、彼がここで議論するのは、その圧倒的な有害性から、ホモ・サピエンスという種に属する個体を新たに生み出すことに反対する厭人主義的アンチナタリズムについてである(博愛主義的議論の一つのアプローチである非対称性に基づく議論については、コチラを参照)。

厭人主義的な議論は、博愛主義的な議論よりもさらなる反発を生むだろうとベネターは述べる。その理由は、人間は自分を憎むものたちを嫌う傾向にあることと、自分たちの悪い点を聞きたがらないということである。

それについてベネターは、ここでの厭人主義的議論は、人類についての好ましくない側面を指すだけであり、人間を憎むこととコミットするわけではないと指摘した上で、こう述べる:

単に不快であるというだけの理由でそれらを信じるのを拒絶することは、厭人主義者の申し立てにさらなる根拠を与えることになる。欠点を認識できないことは、それ自体がまた欠点なのである。

厭人主義的議論のうちで最も強力なのは道徳的なものであるとし、ベネターはこの議論の枠組みを以下のように提示する:

  1. 我々は、多大な危害をもたらす(そして、おそらく今後ももたらし続ける)種に属する新たな一員を生み出すことを思いとどまる(推定的)義務を負っている
  2. 人類は多大な痛み、苦しみ、そして死をもたらす
  3. したがって、新たな人間を生み出すことを思いとどまる(推定的)義務を負っている

そして、この1つ目の仮定を議論する前に、2つ目の仮定についての議論から始められる。


人類本性―その邪悪な側面

人類は神に創造された特別な存在であるといった浮ついた信仰を抱いてきたが、それらのいくつかは科学的に反証されてきた。今や我々は自分たちが盲目的な進化のプロセスの結果生まれた新参者に過ぎないことを知っている。

そして、自分たちを理性的な存在であると自負しているホモ・サピエンスが、いかに愚かな種であるかの具体的説明が列挙される。たとえば害や中毒性を知って上でタバコを始める人たちや、アルコールの過剰摂取、広告業界や政治的扇動および情報操作の成功に見られる騙されやすさ、スポーツや流行など不合理なものに真剣になる様、音楽や映画スターへの大衆的へつらいなどである。他にも、容易に極端な暴力につながる人々の同調性や権力への服従の性質が指摘される。


ホモ・ペルニシオサス

この節では、いかに人類が他者に害をもたらす種であるかが語られる。
多くの動物は危害をもたらすが、我々はこれまでこの惑星上に生息した中で、最も致死的な種である。我々がこの自分たちをアイデンティティ付けるこの上ない性質に言及しないということは、本質を明かす事実である。我々は、ホモ・ペルニシオサス(Homo perniciosus)I、すなわち危険で破滅的なヒトであるという広範な証拠が存在している(p.38)。

危害のカテゴリとして、人間から人間への危害、ヒトでない動物への危害、そして、環境への影響を通した両者への危害の三つに分け、議論される。


訳注I) Homo Sapiensのsapiensは、知的な、という意味。perniciosusは、英語ではpernicious、有害な、危険な、などの意味。

Inhumanity to humanity

まず人類間の危害の話であるが、人類は誕生以来、個人間の殺し、戦争、独裁者の指導による大量虐殺などを繰り返してきた。他にも、レイプ、誘拐、拷問…など、人類が行ってきた粗暴な行いを挙げればきりがない。

日常的の中も、嘘、盗み、プライバシー侵害など、他者への危害であふれている。大半の犯罪は罪に問われず、悪人が得をする社会を改善出来てはいない。


Brutality to "Brutes"

人類間の危害よりもさらに重大なのが、ヒトでない動物への危害である:

人間は毎年、何十億もの動物の計り知れない苦しみと死をもたらしており、圧倒的多数の人間が、重大な共犯者となっている(p.43)。
そして、その具体的な内容が語られる。少々長いがまとめて引用する:

毎年、630億を超える羊、豚、牛、馬、山羊、ラクダ、水牛、ウサギ、鶏、アヒル、ガチョウ、七面鳥などの動物が人間の消費のために屠殺されている43。さらに、約1,036億の水生動物が人間の消費や食品でない用途のために殺されている44

これらの数の合計、すなわち1,660億を超える動物の数も、人間に動物の肉を提供する産業で毎年殺されている動物の総数にはならない。卵を生産できないために、家禽産業によって間引かれる数億の雄のヒヨコは除外されている。このような殺害の世界全体での年間数の推定値はないと思われる。しかし、米国(2億6000万45)および欧州連合(3億3000万46)を含むいくつか特定の国や地域での数値ならある。

公式の屠殺数には、アジアで食される犬や猫も含まれていない。これについて信頼できる数を得るのはさらに困難であるが、ある計算では年間数を、犬について1300万から1600万、猫について約400万としている47。同様に除外されているのは「混獲」である。すなわち、カメ、イルカ、サメ、海鳥などの動物が、意図した漁獲対象でなくとも網に巻き込まれてしまう。このカテゴリーで殺された動物の信頼できる算出数はないが、船外に廃棄された「混獲」の一部は、約50億の海洋動物に相当する48

これらの動物の死のうち圧倒的多数は、痛みやストレスを伴うものである。ヒトは、数百万の雄のヒヨコを様々な方法で殺す。米国では、ほとんどのヒヨコは、しばしば電動化された「殺害」プレートに高速で吸い込まれて殺される49。別の場所では、窒息か粉砕、あるいは英国ではガスまたは瞬間的な浸軟によって殺される50。ブロイラーや用済みとなった産卵鶏は、コンベヤーベルトに逆さまに吊り下げられ、喉を切り裂かれる。豚や他の動物は、屠殺場への移動を促すために殴られ、ショックを与えられる。屠殺場では刃物で喉が切り裂かれるか、突き刺される。その前に気絶させられる場合もあるが、されない場合もある。

海洋動物もそれ以上にマシな扱いはされない。彼らは通常、水中から出ると窒息死するが、水面に向かう途中にも苦しみはある。深海からトロール船によって急速に引き上げられる魚は、気圧のトラウマに苦しむ。体内に気泡が発生し、極度の痛みを引き起こすのだ。うきぶくろも大きく膨らむ。「場合によっては、圧力が非常に大きく、胃や腸が口や肛門から押し出される。目も歪んで膨れ出てしまう」51。ラインと餌によるより小さな規模で釣られる魚は、彼らが命をかけて戦うフックのトラウマに苦しむ。一部のヒトは、魚は痛みを感じないと信じたがるが、かつて哺乳類動物についても保持されていたこの慰めのフィクションは、証拠の光に照らされて枯れ落ちる52。高度に知的な哺乳類であるイルカの死はさらにひどいものになりうる。彼らが混獲ではなく、漁師の意図した獲物にされるとき、彼らが屠殺されることになる湾に追いやられる。クジラも哺乳類であり、海において銛で狩られる。

人間の手によってもたらされる動物の苦しみは、人間が動物を殺す時に制限されるわけではない。たとえば、鶏は通常、バッテリーケージの非常に限られたスペースで飼育される。彼らは翼を広げたり動き回ったりすることはできない。彼らが本能的に行う砂浴びなどの活動をすることもできない。彼らは、不快感と共に、金網の床の上に立っているしかない。そのような状態は鶏たちの精神を乱し、お互いに突き合うため、この苦しみの一生を運命づけられたヒナたちは、熱い刃でくちばしを切断される。ある鶏の群で産卵数が減少すると、その鶏たちは箱に詰め込まれ、屠殺場に運ばれる。

子牛と分娩豚は、彼らが一生を通して動くことができないほど小さなスペースに閉じ込められる。牛には乳量を増やすために、 ウシ成長ホルモンを与えられるが、これはしばしば乳房炎、つまり痛みを伴う牛の乳房の炎症を引き起こす。ヒトは、豚や牛を含むさまざまな動物に対し、尾を切り取り、去勢し、角を取り除き、各印を押すなどを、すべて麻酔なしで行うことにより、身体を侵害する。動物たちはしばしば、目的地で屠殺されるために、窮屈で不潔な条件の下、トラックや船で莫大な距離を運ばれる。

人間の食糧生産だけが動物が虐待される目的では決してない。毎年何百万匹の動物が科学実験53の影響を受けているかを知ることは困難であるが、控えめな計算でも、少なくとも1億1500万はいることが示唆されている54。さらに、科学における動物利用の「3つのR」(代替、削減、改善)にコミットしているにもかかわらず、実際には、少なくとも一部の国では、毎年用いられる動物の数を増やしている55

多くの恐ろしい実験が行われてきた。動物が受けた拷問的扱いの全範囲を要約することは困難であるが、いくつかの例は、人間が動物にもたらしてきた残虐行為の様相を示している。かつては、動物が完全に意識的なまま解剖されていた56。1960年代という最近に、意識のある犬がマイクロ波にさらされており、結果として舌が腫れ、皮膚がカリカリになり、温度が十分に高ければ死に至っていた57

その10年と続く10年で、サルは米軍によって大量の放射線にさらされた。その結果、サルは「痙攣、つまずき、転倒、嘔吐を起こし、快適な姿勢を求め、明らに実りなく終わりの見えない捜索のために身体をひねり続けた」58

心理的トラウマももたらされてきた。 (悪)名高い一連の実験では、幼児のサルが母親から引き離され、母親と幼児の両方が深刻な苦痛を生じさせられた。その後、乳児は、いかなる接触も奪われた。彼らの母親はマネキンに置き換えられた。そのマネキンは乳児に空気を吹き付けるか、歯が鳴るまでガタガタ音を立てたり、ケージの端まで投げ飛ばしたり、針で刺したりするようになっていた59。これらの方法で「飼育された」メスは、その後、強制的に妊娠させられた。彼ら自身の生い立ちを考えれば、その結果生まれる子孫を世話することができなかったのは当然であり、乳児を暴行したり、傷つけたり、殺すことさえあった60

現在の基準では、このような実験の多くは動物研究倫理委員会の承認をもられないだろう。しかし、現在の基準でも、人間が動物に対して、死を含めた著しい危害を加えることを許可している。例えば、毒性試験(医薬品と化粧品の両方)は、死が結果として意図あるいは予想されるものであり、通常は中毒による死に向かう道に伴う苦痛が先行する。別の動物は、運動ニューロンの変性を経験するか61、あるいは「オンコマウス」62のように癌を発症するように遺伝子操作される。人間はまた、坐骨神経痛などの痛みを伴う状態の実験モデルを作成するために動物に手術を施したり63、ラット、ウサギ、猫、犬、猿などのさまざまな動物に脳卒中のような症状を引き起こさせたりする64。彼らは動物をエタノール65やメタンフェタミン66などの物質や、これらの物質による影響にさらす。そのような実験を行っている人々は、仲間の人間の大多数から称賛を受けている。

無関心の結果として残虐行為がなされることよりも、我々の種の有罪を示す決定的な証拠は、人間の娯楽のために残虐行為が引き起こされる場合である。牛攻めや、熊攻め、アナグマ攻め、あるいは他の動物による同様の行為を考えてみてほしい。餌を与えられた動物はポールにつながれ、人間の観客の喜びのために犬に襲われる。闘鶏、闘犬、そして闘牛は今日も続いている。

他の「スポーツ」も、それが目的ではない場合にも動物に苦痛や死をもたらす。競走馬は、レーストラックをより速く走るよう促すために鞭を打たれる。彼らは、しばしば違法に、パフォーマンス向上の薬物を注入される。レース中には定期的に骨折が起こるが、その場合彼らは「安楽死」させられる67。老齢であったり走れないほど弱った馬の中には、屠殺に送られるものもいる。人間の娯楽のために苦しむ他の動物は、動物園に閉じ込められたり、サーカスでパフォーマンスをさせられる。

人間が最も感情的な絆を持っている動物、つまり犬や猫などのドメスティック・コンパニオ動物でさえ、大規模な虐待から逃れられない。一部の人間は、これらの動物を小さなスペースに閉じ込め、叩き、適切な運動や食事を与えない。残酷行為は枚挙にいとまがない。たとえば、有名な19世紀の探検家であるヘンリー・モートン・スタンレーは、犬の尻尾を切り落として調理し、その犬に食べさせた68。ひどい残酷さは我々の時代にも残っている。2006年8月、イギリスの女性は熱湯に子犬を溺れさせようとした。その試みを生き延びた犬は、その後死ぬまで放置された。これは「おそらく1週間は続いた」69。他の最近のケースでは、男が犬をオーブンで焼いて殺したし70、別の人はマチェーテで猫を斬首した71。他にもそのようなケースが数千とある。

毎年何百万もの犬と猫が捨てられている。彼らが送られるシェルターでは、圧倒的多数が家を見つけることができないために殺される72。非常に多くの必要とされないドメスティック動物がいる状況において、驚くことに人間はそのような動物をさらに積極的に繁殖させ、ひたすら問題を悪化させている。これらの繁殖活動は非公式で小規模な場合もある。しかし、はるかに大きな問題は、いわゆる「子犬工場」(あるいは「子猫工場」)であり、これらは、しばしば劣悪な環境で適切な注意の向けられない環境で、非常に多くの動物を生産する。目的はブリーダーの利益を最大化することであり、動物の福祉に注意が払われているケースは稀である(p.44-47)。

他にも、血統を追求した交配により遺伝病などに苦しむ動物や、迷信に基づく療法のために苦しめられ殺される熊、ファッションの犠牲になるミンクやキツネやウサギなど、ベネターは隈なくヒトでない動物に対する人間の残虐行為に触れる。


環境に対する有毒性

最後に、汚染や森林伐採、そして気候変動などを通した危害が指摘される。


規範的前提

これまで、人間がもたらす苦しみや死の途方もない量を見てきたが、ここで、厭人主義的議論の最初の仮定

我々は、多大な危害をもたらす(そして、おそらく今後ももたらし続ける)種に属する新たな一員を生み出すことを思いとどまる(推定的)義務を負っている

に関して、いくつかの注意がなされる。まず、この仮定は、危険な種に属するものを間引くべきだと主張するわけでもないし、また他者が危険な種に属するものを生み出すことを阻害するものでもないということが指摘される。これはあくまでそれぞれが繁殖を行うことを控えるべきだというものだということである。

一方で、この仮定が正しいものであるために。すべてのメンバーが苦痛や死をもたらすものである必要はない。これは、赤信号を無視することが常に危害を生まなくとも、赤信号では止まるべき義務があることに例えられる。

この仮定はまた、具体的な種に制限されないことにも注意が必要である。例として、人間による危険なヒトでない動物の繁殖や、ウィルスの複製などが挙げられる。

繁殖を控えるのではなく、人類の破滅性を許容可能なレベルまで抑える努力ではいけないのか、という議論に対しては、そのような望みはナイーブな夢想家の考えだと退ける。

ここで、暴力は減少しているということを強調するスティーブン・ピンカーのような楽観主義的議論が持ち出されることも考えられるが、それに対するベネターの議論も引用しよう:

この線の議論は、厭人主義的議論で暗示される悲観主義に取って代わるものではない。暴力が減少しているといっても、減少しているのは暴力の割合だけである。現在、人々は以前よりも暴力を受けにくくなっている。しかし、苦しみや死の総は増加している。これは、危害を与える人や、他人の手による危害に苦しむ人間の数が増えたことが主な理由である。新たな人間を作り出すのを控えることは、危害を受ける人間が少なくなるということであり、したがって危害の総量が少なくなることを意味する。暴力の割合は重要であるが、暴力の総量は、新たに人を作り出すかどうかを決定する際の考慮事項として、少なくとも同程度に重要である。人の数が少なければ暴力も減少するだろう。

例え暴力の割合に注意を制限したとしても、依然としてその割合が増加する可能性もある。人間の性質を考えれば、割合の減少傾向が動かしがたいものであるとは考えられない。しかし、その懸念を脇に置いたとしても、現在の割合は、減少していると言っても、無視できる値からは程遠い。非常に長期的に見れば、人間の破滅性を無視できるレベルにまで下げることができると考えることがナイーブではないとしても、そこに至るまでの間に、多大な痛みや苦しみ、そして死を引き起こす存在を創造することは、俗悪なことである(p.51)。

このピンカー的な楽観主義に対する批判として、コチラのユヴァル・ノア・ハラリによる議論も参照することをおすすめする。


推定的義務

これまでの議論が正しいとすれば、我々は新たな人間を生み出さない推定義務を持つことになるが、最後に、その義務が打ち負かされる場合がありうるのかが検討される。

人間がもたらす善が危害を上回る場合だという主張が予測されるが、ベネターはその善は人間に対するものだけでなく、ヒトでない動物に対してでもあり、かつ先に記述したヒトでない動物に対する危害を相殺するほどのものでないといけないが、そんなことはありえないだろうと指摘する。

それでも実際にそれが可能だというプロナタリストに対してこう迫る:

私が記述したおぞましい破壊よりも、善良な人間の行いが実際にそれを上回るとプロナタリストが考えるのなら、何らかの具体的な詳細を聞かせてもらう必要がある。おおよそどれほどの善が生物を切り刻むことを上回るというのだろうか?どれだけの善が集団レイプを上回るのか? どれほどの善がルワンダの虐殺やジョセフ・スターリンの粛清を上回るのか?(p.52)

他にも、殺人を犯した人がその罪を上回るためにどれだけの数の命を救えばいいのかと考えたとき、例えば2つの命では明らかに足りないだろうし、種全体で考えても、ある期間にn-億の命を奪ったその種は、同じ期間にn-億+1つの命を救っても足りないだろう。もし埋め合わせることのできない危害の閾値があるとするなら、明らかに人類のもたらしている危害はそれを超過している。

これらの理由から、義務が定期的に打ち負かされるということを退ける。場合によっては義務が打ち負かされるという可能性については、ほんの一部の人間であればありえないこともないとしつつ、大半の人間が楽観主義的バイアスと、自身の望む行為を正当化しようとする性質があることから、大半の人間は誤った判断をしかねないと指摘し、それについて疑いをはさむものは、人間が少なくとも他の動物や環境にもたらしている危害を考えてみるべきだと述べる。

最後にまた、大半の人間はベジタリアンでもビーガンでもなく、先に述べた動物の虐殺に加担していること、および人が一人存在することによる環境負荷の大きさが指摘される。

そして、この節は以下のように締めくくられる:

人類は道徳的災難である。我々が進化しなければ、存在した破滅ははるかに少なかっただろう。将来の人間の数が少なくなるほど、もたらされる破滅も少なくなるだろう(p.55)。

結論

結論もそのまま引用しよう:

アンチナタリズムの議論は結論において幅がある。最極端においては、アンチナタリズム的結論はあらゆる生殖に反対するものとなる。しかし、よりマイルドなバージョンでは、選択されたケースでの生殖のみに反対する。

博愛主義的議論は広範な結論を導く。それらは、存在を得ることは常に危害であることを示唆する。その危害は実際に深刻なものであるため、少なくとも一部の見方では、子供を作ることは常に間違いであるということになる(それ以外の見方は、人類絶滅計画の一部として、いくぶんかの生殖を許容する)。

道徳的厭人主義的議論の結論は、子供を作ることは推定的に間違いであるというものである。この推定は破られることもありうる。私は、人々は実際よりもはるかに頻繁にそれが破られると考えるだろうことと、不可能ではないとしても、実際にその推定がいつ破られるかを知るのは非常に困難であることを議論した。しかし、新たな人間が、その特定の人間がもたらすだろう害を相殺するくらいの十分な善を生み出すという状況が存在する可能性も残ってはいる。

厭人主義的議論を、博愛主義的議論と合わせて考えれば、生殖に反対する議論は、特に我々の現在の状況においては、ほぼ常に過剰決定的である。


原文中の脚注(の一部)

(43.) This data is from the Food and Agriculture Organization (FAO) of the United Nations. According to its statistics for 2010, the number of animals in these and related categories that were slaughtered numbered 63,544,184,849. See faostat.fao.org, accessed December 4, 2012.

(44.) The State of the World Fisheries and Aquaculture [Rome: FAO Fisheries and Aquaculture Department, 2010], 3http://adaptt.org/killcounter.html

(45.) Michael C. Appleby, Joy A. Mench, and Barry O. Hughes, Poultry Behaviour and Welfare (Wallingford, UK: CABI Publishing, 2004), 184.

(46.) European Union Memo: “Questions and Answers on the proposal for the protection of animals at the time of killing,” MEMO/08/574, Brussels, September 18, 2008, accessed December 19, 2012, http://europa.eu/rapid/pressrelease_ MEMO-08-574_en.htm.

(47.) “How Many Dogs and Cats Are Eaten in Asia?” Animal People, September
2003, accessed December 19, 2012, http://www.animalpeoplenews.org/03/9/ dogs.catseatenAsia903.html.

(48.) The State of the World Fisheries and Aquaculture, 83–84, cites a figure of 7 million tons. On the average marine animal weight cited, this amounts to about 5 billion animals.

(49.) Appleby, Mench, and Hughes, Poultry Behaviour and Welfare, 184.

(50.) Ibid., 184–186.

(51.) Victoria Braithwaite, Do Fish Feel Pain? (Oxford: Oxford University Press, 2010), 177.

(52.) Ibid. For the pain inflicted by hooks, see 164–168.

(53.) I am skeptical about the value of animal experimentation, but even if one thought that this practice were justifiable on account of a benefit to humans, it would still be the case that if there were no humans these harms would not be inflicted on animals.

(54.) Katy Taylor, Nicky Gordon, Gill Langley, and Wendy Higgins, “Estimates for Worldwide Laboratory Animal Use in 2005,” Alternatives to Laboratory Animals, 36 (2008): 327–342.

(55.) Ingrid Torjesen, “Animal Experiments Rose in 2011 Despite Coalition Pledge to Reduce Them,” British Medical Journal, 345 (2012): e4728.

(56.) Kathryn Shevelow, For the Love of Animals: The Rise of the Animal Protection Movement (New York: Henry Holt, 2008), 144.

(57.) Deborah Blum, The Monkey Wars (New York: Oxford University Press,
1995), 82.

(58.) Ibid., 83.

(59.) Ibid., 90.

(60.) Ibid., 91.

(61.) Mark E. Gurney et al., “Motor Neuron Degeneration in Mice that Express a Human Cu,Zn Superoxide Dismutase Mutation,” Science 264, no. 5166 (1994): 1772–1775.

(62.) Alun Anderson, “Oncomouse Released,” Nature 336, no. 6197 (1988): 300.

(63.) Peter M. Grace, Mark R. Hutchinson, Jim Manavis, Andrew A. Somogyi, and Paul E. Rolan, “A Novel Animal Model of Graded Neuropathic Pain: Utility to Investigate Mechanisms of Population Heterogeneity,” Journal of Neuroscience Methods 193 (2010): 47–53.

(64.) Juliana Casals et al., “The Use of Animal Models for Stroke Research: A Review,” Comparative Medicine 61, no. 4 (2011): 305–313.

(65.) Kathryn L. Gatford, Penelope A. Dalitz, Megan L. Cock, Richard Harding, and Julie A. Owens, “Acute Ethanol Exposure in Pregnancy Alters the Insulin-like Growth Factor Axis of Fetal and Maternal Sheep,” American Journal of Physiology—Endocrinology and Metabolism 292 (2007): E494—E500.

(66.) Kelly J. Clemens, Jennifer L. Cornish, Glenn E. Hunt, and Iain S. McGregor, “Repeated Weekly Exposure to MDMA, Methamphetamine or their Combination: Long-term Behavioural and Neurochemical Effects in Rats,” Drug and Alcohol Dependence 86 (2007): 183–190.

(67.) Walt Bogdanich, Joe Drape, Dara L. Miles, and Griffin Palmer, “Mangled Horses, Maimed Jockeys,” New York Times, March 24, 2012, accessed March 25, 2012, http://www.nytimes.com/2012/03/25/us/death-and-disarray-at americasracetracks.html?_r=2&hp=&pagewanted=print.

(68.) Hochschild, King Leopold’s Ghost, 196.

(69.) http://www.pet-abuse.com/cases/10007/EN/UK/, accessed December 17, 2012.

(70.) http://www.pet-abuse.com/cases/16982/WI/US/, accessed December 17,2012.

(71.) http://www.pet-abuse.com/cases/16970/WA/US/, accessed December 17, 2012.

(72.) It is very difficult to determine how many millions of dogs and cats are killed each year by animal shelters because those animals cannot be homed. The American Humane Association estimates that the number in the United States is about 3.7 million animals per year and says this “number represents a generally accepted statistic that is widely used by many animal welfare organizations, including the American Society for the Prevention of Cruelty to Animals (ASPCA).” (http://www.americanhumane.org/animals/stop-animal abuse/factsheets/ animal-shelter-euthanasia.html, accessed December 4, 2012.) However, these figures, which are based on a 1997 survey conducted by the National Council on Pet Population Study and Policy explicitly notes that it “is not possible to use these statistics to estimate numbers of animals entering animal shelters in the United States, or the numbers euthanized on an annual basis” because the “reporting Shelters may not represent a random sampling of U.S. Shelters.”

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