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植物の意識という神話への反証

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 植物の意識という神話への反証 ※本記事の内容は,より詳細な補足や関連する研究の結果と共に,以下のリンク先のpdfファイルにも収録してある。 >> ダウンロードページ << ■はじめに 未だに、植物にも意識があると信じる人、あるいはそう信じるふりをすることが、ビーガンにならないことを正当化する理由になると信じる人が多くいる。 『 ビーガンFAQ:#プランツゾウ 』において、そのどちらの信念も誤りであるということを議論しているが、ここでは前者の信念、すなわち植物にも意識があるという考えの問題点をまとめた論文『 Debunking a myth: plant consciousness(植物の意識という神話への反証) 』の内容を要約し、紹介する。 この論文は解剖学者Jon Mallatを筆頭著者とし、膜の物理を専門にするMichael Blatt、病態生理学者Andreas Draguhn、植物の環境への適応を研究する植物生理学者David Robinsonそして、もう1人の植物生理学者Lincoln Taizによって書かれた、「植物も意識を持つ」という主張への反論を示すものである。 Mallatは、神経科学者で意識の科学を専門とするTodd E. Feinbergと共同で、意識の基底とその起源についての研究を行っており、Taizをはじめとする残りの著者らは、FeinbergとMallatの研究に基づき、『 Plants neither possess nor require consciousness(植物は意識を持つことも必要とすることもない) 』をはじめ、植物意識の存在を否定する一連の研究を発表している(一部『 ビーガンFAQ:#プランツゾウ 』内でも引用している)。 この論文は、こうした研究の1つのまとめとして、植物意識を支持する側が持ち出す12の主張をリストアップし、その1つ1つに対し、それがなぜ間違いであるかを示すものとなっている。 論文で扱われるのは、以下の12の主張である: 生きた細胞の1つ1つに意識がある 植物の意識は、環境の変化を感知して適応的に対応して目標指向行動のために情報を統合し、その過程で意思決定を行っていることに現れている 膜電位と電気信号は、

『ホロコーストは終わっていない』ゲイリー・ヨーロフスキーとユヴァル・ノア・ハラリの対談

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『ホロコーストは終わっていない』ゲイリー・ヨーロフスキーとユヴァル・ノア・ハラリの対談 “Agnus Dei” by Francisco de Zurbarán. Oil on canvas, 1635-1640. ■はじめに この記事では、2013年にイスラエルの新聞「Haaretz」のウェブサイトに掲載された、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによるアニマルライツ・アクティビストのゲイリー・ヨーロフスキーのインタビュー記事『 Gary Yourofsky to Haaretz: 'Animal Holocaust' Isn’t Over 』の全訳を載せる。 関連:世界で一番重要なスピーチ(ゲイリー・ヨーロフスキー) ■記事の全訳 アニマルライツ運動の第一人者として世界的に有名なゲイリー・ヨーロフスキー氏が、12月に再びイスラエルを訪問する。ビーガンやアニマルライツ団体の間でも、彼の妥協を許さない戦闘的な姿勢、批判的なスタイル、そして暴力は革命に不可欠な要素だという主張は物議を醸している。個人的には、彼の主張や提案には同意できないことも多いが、21世紀はじめの倫理的・政治的なシーンにおいて、彼は重要な人物であると私は信じている。ヨーロフスキーは、人々をコンフォートゾーンから引きずり出す。肉食者や毛皮好きだけでなく、多くのビーガンでさえも、彼の歯に衣着せぬ講話に、居心地の悪さを感じる。 動物たちの苦しみに無関心でいることは簡単である。彼らには新聞記事を書いたり、ラジオで話したりすることができず、彼らの叫び声は我々の耳から遠く離れてた場所に隔離されている―あるいは、周到に弱められ、穏やかなものに調整されている。ヨーロフスキーは、動物たちのマウスピースとなり、彼らの悲鳴を修正されないまま人々に聞かせることを目的としている。彼の話に耳を傾ければ、無関心でいるのはとても困難なことになる。彼に異論を唱えるのは当然だが(時には彼に異論を唱えるのが最良であることもあるかもしれない)、ヨーロフスキーは我々に、畜産場の動物たちの運命を真剣に考えさせ、人間による何十億もの牛、羊、豚、鶏たちの扱いが、歴史的な大罪であるという可能性を考えさせる。そのため私は、ゲイリー・ヨーロフスキー氏と議論する機会を得られたことを嬉しく思っている。私は、議論に時間

Review of Suffering | vol.1 アンチナタリズム

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Review of Suffering | vol.1 アンチナタリズム pdfのサイズはA5(A4の半分) >> pdf download << 電子書籍作成の試しに作ったepubバージョンが 楽天Kobo と Amazonのkindle からダウンロードできる。 Koboは無料に設定できたが、Kindleはまだできていないので、リンク先が有料になっていたらKoboの方からダウンロードしてください。 Contents Introduction:アンチナタリズムとは Benatarの基本的非対称性の評価の仕方 ロボット倫理:反種差別主義とアンチナタリズムの観点から 非同一性問題について 問い合わせ:ros.therealarg@gmail.com

【雑記】「反出生主義者」についての考察

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【雑記】「反出生主義者」についての考察 Anti-natalismという概念は、「漠然」と生殖に正の価値づけをするnatalismの否定であり、ベネター自身が中国で採用されていた一人っ子政策を例に挙げているように、哲学的立場を指す言葉とは限らない。 日本語ではしばしば、道徳的な立場としてのanti-natalismを指すものとしてアンチナタリズム、その他一般を指すものとして反出生主義という言葉があてられる。 ここでは、twitterを中心とするソーシャルメディアやブログなど、日本のネット上の「反出生主義者」についていくつか考察する。 ■反出生主義者 こちらの記事 でも指摘されているように、ネット上の反出生主義者たちは、そもそも子供を作れる環境になかったり、その機会を得るのが困難な人も多い。 精神病患者、自殺/安楽死志願者、発達障害者などが多く、個人的な不遇を強く認識している人が多いという印象もある。そういった人たちは、当然のこととして、そしてまた、客観的にもある程度正当なものとして、そういった不遇をもたらした親や社会に対する憎悪や嫌悪を抱いている。 しかし、自分の存在をもたらした親だけではなく、同様の行為を行う、あるいは行った人々に批判を向けるには、それが個別の事例における問題ではなく、一般的な問題として成立するものであるという、ある種の「普遍性」が必要になる。そこで、自身の思いに普遍性を提供するように思えるのが、「反出生主義」という概念である。 個人的な不遇と、それをもたらした社会や親などに対する憎悪や嫌悪に打ちひしがれていた人たちが、「反出生主義」という哲学的な議論によってバックアップを得た概念と交差したとき、どういった感情的反応が生じるかは想像に難くない。 そして、彼らが特別に選択をしなければ、自然と子供ができるリスクは非常に低いということを考えると、彼らが子供を作ること考えている、あるいはすでに子供を持っている人たちを批判することの精神的コストは、それが匿名のオンライン上で行われることも考慮すれば、ほとんどゼロであることがわかる。 ■反ホモサピエンス出生主義者 しかし、彼らの多くが唱える反出生主義は奇妙なものでもある。彼らはヒトあるいはホモ・サピエンスという種の生殖にしか関心がない。 生の強制の被害者とな

社会的意味論:群淘汰理論はどれほど有用であってきたか

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社会的意味論:群淘汰理論はどれほど有用であってきたか 本記事では、群淘汰理論が進化生物学の分野でどのような評価を受けているのかを概観するための資料として、S. A. West、A. S. GriffinおよびA. Gardnderによるcommunication論文 (2007) の内容を要約して紹介する。 この論文の内容は、我々は群淘汰に関して三種類の誤った認識を抱いているというD. S. Wilson (2007) の主張に対する反論であり、Wilsonらの主張を具体的に取り上げて問題を指摘している。 ◆概要 まず、原論文の概要をそのまま引用する: 我々の社会的意味論のレビュー (J. Evol. Biol., 2007, 415–432) では、群淘汰に関連する誤解や混乱の原因について議論した。Wilson (2007, this issue) は、我々は群淘汰に関する三つの誤りを犯していると主張している。ここでは、この主張に反論するために、我々のレビューから関連する点をより詳細に説明することを目的としている。過去45年間の研究は、血縁淘汰のアプローチおよび群淘汰のアプローチの相対的利用の明確な証拠を提供している。血縁淘汰の方法論はより扱いやすく、群淘汰アプローチの有用性を説明するためにWilsonが選択した例を含む特定の生物学的事例に対して、より簡単に適用できるモデル構築を可能する。対照的に、群淘汰アプローチは有用性が低いだけでなく、しばしば、徒労につながる混乱を助長することにより、ネガティブな帰結をもたらすように思われる。より一般的には、血縁淘汰理論は、あらゆる分類群に適用できる統一された概念的要約の構築を可能にする一方で、群淘汰にはいかなる形式理論も存在していない。 ◆誤認1:古い群淘汰と新しい群淘汰 Wilsonによれば、一つ目の誤認は「古い」群淘汰理論と「新しい」群淘汰理論の間には、歴史的に概念的にもつながりがない、というものだ。ここで彼らが古い群淘汰論といっているのは、いわゆる「自然淘汰は群単位で作用し、生物には種の保存のために行動する基本的な本能が備わっている」といったいわゆるナイーブな群淘汰論のことである。 しかし、Westらは、それらの間につながりがあることには元々同意しているが、重要なことは、新たな群

老いの現代生物学:私たちはなぜ老いるのか

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老いの現代生物学:私たちはなぜ老いるのか はじめに 老いは私たち動物の多くにとって、最も大きな苦しみの原因の一つである。そこで、いかにして老いを食い止めることができるのか、若返りは可能か、不老不死は(様々な意味で)良いことなのか、あるいはそもそも、老いをどのように定義し、どう分類すべきなのか、など、老いに関して問うべきことは多くある。 だが実は、そもそも第一に問うべきことの一つ、「私たちはなぜ老いるのか」という問いに対しても、コンセンサスの得られた答えはまだ与えられていない。ここでは、老いに関するいくつかの競合する理論や仮説を概説したKunlin Jinの論文  "Modern biological theories of aging."  (2010) を紹介する。 Jin, Kunlin. "Modern biological theories of aging."  Aging and disease   1 (2) (2010): 72. 概要だけ紹介しようと思ったが、あまりにコンパクトにまとまっているので、全訳載せさせてもらうことにした。以下はすべてその論文の内容である。 ■概要 近年の分子生物学および遺伝学における進歩にもかかわらず、ヒトの寿命を制御する謎はまだ解明されていない。 プログラム理論とエラー理論という二つの主なカテゴリーに分類される多くの理論が、老化の過程を説明するために提案されてきたが、どちらも完全に満足のいくものではないように思われる。これらの理論は複雑に相互作用している可能性がある。既存および新たな老化理論を理解し検証することで、順調な老化を促進することが可能になるかもしれない。 ■老化の理論 なぜ私たちは年をとるのか?私たちはいつ老化を始めるのか?老化のマーカーは何か?私たちが成長できる年齢に限界はあるのか?これらの問いは、過去数百年の間、人類によって深く考えられてきたことである。しかしながら、近年の分子生物学および遺伝学における進歩にもかかわらず、ヒトの寿命を制御する謎については、未だに解明されていない。 老化の過程を説明するために多くの理論が提案されてきたが、そのどれも完全に満足のいくものではないようである(1)。伝統的な老化理論は、老化は適応で

ベネターの厭人主義的アンチナタリズム

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ベネターの厭人主義的アンチナタリズム これは" Permissible Progeny?: The Morality of Procreation and Parenting " (2015) 内でデイヴィッド・ベネター(David Benatar)が担当した一章 "The Misanthropic Argument for Anti-natalism. Permissible Progeny: The Morality of Procreation and Parenting" の要約と抜粋である(同様の内容が『 Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce? 』にも収録されている)。 注意として、Appendixは扱っていない。また、訳注と参考文献および本文中のそれらの指定は、必要なもの以外は略してあるため、原文をあたってもらいたい。 abstractはそのまま引用する: この章は、アンチナタリズムを支持する厭人主義的な道徳的議論を提示する。この議論に従えば、我々は多大な危害をもたらす種に属する新たな一員を生み出すことを思いとどまる推定義務を負っていることになる。人類本性には、人類を他の人間やヒトでない動物に多大な痛み、苦しみ、そして死をもたらすよう導く邪悪な側面があるという広範な証拠が与えられる。一部の危害は環境破壊を通してもたらされる。その結果生じる新たに人間を生み出さないという推定義務は、例え打ち負かされることがあったとしても非常に稀なものとなる。すべての厭人主義が人間の道徳的過ちに関するものではない。この章に続くappendixにおいて、生殖に反対する美的考察が提示される。 ベネターが著書『 Better Never to Have Been 』などで議論しているのは、存在を得るあらゆる知覚ある存在への配慮から生殖に反対する立場である博愛主義的アンチナタリズムであるが、彼がここで議論するのは、その圧倒的な有害性から、ホモ・サピエンスという種に属する個体を新たに生み出すことに反対する厭人主義的アンチナタリズムについてである(博愛主義的議論の一つのアプローチである非対称性に基づく議論については、 コチラ を参照)。 厭人主義的な議論は、

私たちの物語

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私たちの物語 ――語られるべき、私たちの物語について。 First written: 11 Nov. 2019; last update: -- --. ---- ▶Introduction 多くのものたちが、目隠しをされ、海に投げ込まれている。彼らは自分たちの状況を理解することもできず、ただ溺れないようにもがいている。 あなたもその一員である。だが、あなたは闇雲にもがいた結果、流れに乗り、幸運にも岸にたどり着くことができた。目隠しも外れ、自分が流れてきた方向を振り返ると、悲惨な光景が目に入ってくる。 誰もが死を恐れてパニック状態であり、自分が溺れてしまわないように、別の誰かを犠牲に必死で息を繋ごうとするものや、闇雲に暴れるためにますます溺れてしまうものも多い。 さて、あなたは彼らを救助するために何らかの努力をするだろうか? あるいは何もせずその場を立ち去るだろうか? もう一つ、別の質問をしよう。 「彼らは、自分たちが置かれている状況を理解していない」ということが、彼らを「救わない」理由になると思うだろうか? ▶自己複製子の誕生 "我々は生存機械、すなわち遺伝子として知られる利己的な分子を保存するために盲目的にプログラムされた、ロボットの乗り物なのだ。" ―リチャード・ドーキンス, "利己的な遺伝子" 1976年版 前書きより 私たち地球上の生物の歴史は、少なくとも約40億年以上前、ある特殊な性質を持つ分子が誕生したことに端を発している。その特殊な性質とは、自己複製の能力、すなわち自分自身のコピーを生み出す能力である。この種の能力を持つ情報ユニットは自己複製子と呼ばれる。 最初の自己複製子がどんな場所で誕生したのかはまだ明らかではない。海底なのか地上の温泉地帯なのか、あるいはまた別の場所なのか。いずれにしてもそこには、当然限りはあるが、自己複製子が自身のコピーを作るのに必要な資源は豊富であったはずだ。 自己複製の性質により、その自己複製子は周りの資源を利用し、自らのコピーを増やしていった。だが、あらゆる複製過程にはゼロでないエラーの可能性が伴う。そのため、もともと祖先を同じにする自己複製子たちも、様々な複製ミスを経て、次第に異なる変種として

ゲイであることと科学研究 by ユヴァル・ノア・ハラリ

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ゲイであることと科学研究 by ユヴァル・ノア・ハラリ 『 サピエンス全史 』や『 ホモデウス 』の著者として知られる歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが語る、ゲイであることと科学研究および宗教的神話について。 以下は動画の全訳である。 Kei Singleton 質問:ゲイであることは、あなたの科学研究に影響を与えましたか? おおいに与えましたね 同性愛者として、人間によって作り上げられた物語と現実の違いを知ることが重要です。同様の能力が、科学的研究においても不可欠です。若い頃は、すべての男の子が女の子に惹かれるのだと教えられ、私はそれを信じていました。 これは人間によって作り出された単なる物語であり、現実には他の男の子を愛する男の子もいて、私はたまたまそのうちの一人なんだということに気づくのに、長い時間がかかりました。大半の人が信じる物語と矛盾していても、現実をそのまま受け入れることはすばらしい知恵です。 同様に、二人の男性が互いに愛し合うと、大いに腹を立てる偉大な男が空にいると多くの人が言います。しかし、これは人々が作り上げたもう一つの架空の物語です。二人の男性が互いに愛し合い、それによって誰も傷つけることがないのなら、それの何が問題になるでしょう?それについて怒る男は空にはいません。怒るのは、祭司とラビだけです。 科学研究も全く同じ洞察に基づいています。科学者として、私は常に現実とは何かを自問しています。人間が作り上げたあらゆる物語を忘れ、世界の真実とは何か、と。 私は同性愛男性として、現実が人々の語る物語と衝突するならば、現実を信じることが最善であることを学びました。この教訓が私をはるかに良い科学者にしたと考えています。 質問:科学研究は、セクシュアル・アイデンティティに影響を与えましたか? 科学は私のセクシュアリティをそのまま受け入れることを助けました。人々はしばしば同性愛者であることは不自然であり、自然は男性が女性を、女性が男性を愛することを望んでいて、同性愛者は自然の法則を破るといいます。 科学研究はこれが全くのナンセンスであることを教えてくれました。単純に、不自然な振る舞いなどないのです。存在するものはすべて、定義からして自然です。 人々は自然の法則を破ることなどできないのです。自然法則は交

動物福祉に関する議論における科学者の役割 by ユヴァル・ノア・ハラリ

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動物福祉に関する議論における科学者の役割 by ユヴァル・ノア・ハラリ 『 サピエンス全史 』や『 ホモデウス 』の著者として知られる歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが語る、動物の福祉に関する議論における科学者の責任と役割について。 以下は動画の全訳である。 Kei Singleton "異なる意見を持つことはできますが、科学的事実を知らないのであれば、その意見は大して相手にされるべきものとはならないでしょう。" ―みなさんこんにちは。 動物福祉における科学や科学者の位置づけについて少しお話したいと思います。 科学者は一般に、政治的議論や倫理的議論から距離を置こうとします。しかし、特に21世紀においては、ますます多くの政治的、そして倫理的問いが、科学的知識や、科学的事実や理論を知っているかということに依存するようになってきています。例えば、地球温暖化から、人工知能や遺伝子工学の台頭まで、様々です。 あなたは、これらの問題ついて異なる意見を持つことはできますが、科学的事実を知らないのであれば、その意見は大して相手にされるべきものとはならないでしょう。 そして科学者たちは、より大きな政治的そして倫理的責任を担うべきなのです。彼らは、この文脈においては、沈黙も一つの政治的主張であるということを知るべきです。もし科学者たちが何か重要なことを知っており、それが現在の政治的議論において意味を持つものでありながら、それを公で話さないという選択をするのなら、それもまた一つの倫理的選択なのです。 もちろん、科学は倫理的問題を決定することはできませんし、それは科学の役割ではありませんが、科学は事実に関する問題を決定することができます。科学は私たちに何が良いことなのかを伝えることは決してありません。それは私たちに何が現実のことで、何が本当のことなのかを教えてくれるだけです。 残念なことに、特に動物に関して、あまりにも多くの倫理的な議論がこの事実の段階で行き詰まっています。そのため、科学はこれらの議論を前進させるのに非常に役立つ可能性があります。 牛や鶏、豚などの畜産動物の福祉についての議論では、二つの重要な事実上の問いがあります。一つ目は、動物たちはそもそも苦しむことができるのか?ということ、そして次に、動物が

時間の矢の起源:典型性に基づく説明

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時間の矢の起源:典型性に基づく説明 Kei Singleton  First published: 17. Apr. 2019; Last updated: 17. Apr. 2019 はじめに 生物進化の法則、人工生命の創造に伴う明らかなリスクへの効果的な対処、意識や知覚をもたらす脳の神経構造、老化のメカニズムなど、苦しみの原因にかかわるこれらの問題をより深く理解し、そして対処を可能にするには、熱力学や統計力学をはじめとした物理学の知識と手法が必要になる。一方で、熱力学や統計力学で用いられる概念や方法の一部は、非常につかみどころのないものでもあり、それゆえに多くの誤解が広まってしまっている。ここでは、それらの分野の概念を専門的な予備知識を必要としない形で紹介することを一つの目的とし、それ自体が苦しみの大きな原因である時間の不可逆性について議論する。 1  ミクロな世界とマクロな世界 1.1  熱力学第二法則と時間反転非対称 形あるものは時の流れと共に姿を変え、やがて朽ち果てる。不可避な老いと死は私たち動物の多くにとってそれ自体が最も大きな苦痛であるだけでなく、将来経験する老いや死に対する不安や恐怖など、生における他の様々な苦しみを生む原因ともなる。しかしこの時間変化の一方向性は、生物の変化にのみ見られるものではない。私たちの目に見える 系(考察の対象とするもの) の多くは、その変化の方向に明らかな非対称性を示す。例えば部屋でコーヒーにミルクを入れて飲んでる場面を想像してみよう(もちろんここで入れるミルクは豆乳やアーモンドミルクなどのビーガンミルクだ)。コーヒーに垂らしたミルクは自ずとコーヒーと一様に混ざり合うが、何か特殊な操作でも加えない限り、一度混ざり合ったミルクがコーヒーと分離することはない(溶けの悪い製品については考えていない)。また、それが淹れたての熱いコーヒーであっても(あるいは十分冷えたアイスコーヒーであっても)、放置すればやがて部屋の空気と同じ熱さになり、それ以上変化を示さなくなる。 これらのマクロな(目に見えるスケールの)系の状態を扱うのが、 熱力学 と呼ばれる分野である。ここではまず、その熱力学からいくつかの有用な概念を導入する。マクロな系が、(外界とのやりとりがないまま)しばらく放置して至る、目に見えた