ベネターの厭人主義的アンチナタリズム
ベネターの厭人主義的アンチナタリズム これは" Permissible Progeny?: The Morality of Procreation and Parenting " (2015) 内でデイヴィッド・ベネター(David Benatar)が担当した一章 "The Misanthropic Argument for Anti-natalism. Permissible Progeny: The Morality of Procreation and Parenting" の要約と抜粋である(同様の内容が『 Debating Procreation: Is It Wrong to Reproduce? 』にも収録されている)。 注意として、Appendixは扱っていない。また、訳注と参考文献および本文中のそれらの指定は、必要なもの以外は略してあるため、原文をあたってもらいたい。 abstractはそのまま引用する: この章は、アンチナタリズムを支持する厭人主義的な道徳的議論を提示する。この議論に従えば、我々は多大な危害をもたらす種に属する新たな一員を生み出すことを思いとどまる推定義務を負っていることになる。人類本性には、人類を他の人間やヒトでない動物に多大な痛み、苦しみ、そして死をもたらすよう導く邪悪な側面があるという広範な証拠が与えられる。一部の危害は環境破壊を通してもたらされる。その結果生じる新たに人間を生み出さないという推定義務は、例え打ち負かされることがあったとしても非常に稀なものとなる。すべての厭人主義が人間の道徳的過ちに関するものではない。この章に続くappendixにおいて、生殖に反対する美的考察が提示される。 ベネターが著書『 Better Never to Have Been 』などで議論しているのは、存在を得るあらゆる知覚ある存在への配慮から生殖に反対する立場である博愛主義的アンチナタリズムであるが、彼がここで議論するのは、その圧倒的な有害性から、ホモ・サピエンスという種に属する個体を新たに生み出すことに反対する厭人主義的アンチナタリズムについてである(博愛主義的議論の一つのアプローチである非対称性に基づく議論については、 コチラ を参照)。 厭人主義的な議論は、...