ヘドニズム的使命とは―簡単な解説

ヘドニズム的使命とは
―簡単な解説―


"我々の苦痛と同様の苦しみを経験している知覚ある存在がいる限り、その苦痛に自分の痛みや愛する人の痛みと同じ優先度と緊急性で取り組まなければならない"―デイヴィッド・ピアース


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■導入

The Hedonistic Imperative―ヘドニズム的使命あるいはヘドニズム的責務―とは、哲学者デイヴィッド・ピアース(David Pearce)の提唱する世界から苦しみを根絶するための試みです。ピアースは、道徳的に正しいこととは、喜びを増やすことではなく、苦しみを減少させ、最終的には根絶することであるという立場(ネガティブ功利主義)を支持することで有名ですが、彼は、どのような道徳的立場を取るかに関わらず、私たちはみな、苦しみのアボリショニスト(根絶論者)でなければならないと考えます。

まずピアースが指摘することは、どんな経済システムを採用し、どれだけ経済が成長し、どれだけ(通常の意味で)テクノロジーが進歩しても、人間社会から苦しみを根絶することはできないということです。その理由の一つとして、私たちのウェルビーイング(心理面を含めた健康のようなもの)の度合いは、遺伝情報によって決まってしまう部分が大きいということが仮定されています。

いくつかの双子の研究では、人にはそれぞれ、部分的に遺伝によって決まるウェルビーイングの度合いの基準点―ヘドニック・セットポイントがあり、ウェルビーイングは生涯を通じてそのセットポイントの周りを揺らぐということが示されています。つまり、どんな環境で生きようとも、人生の満足度は生まれつき決まったセットポイントに縛られてしまうというのです。

ストレスをかけることでヘドニックセットポイントを下げることは可能ですが、実はこれも言うほど簡単なことではありません。例えば自殺率は、通常生活環境も悪化し、ストレスも増加する戦時中に下降するという研究もありますし、事故によって四肢性麻痺という深刻な状態に陥っても、その6ヵ月後には、事故の前と比べても、より不幸でもなく、より不幸でなくもない状態に戻ることを示唆している研究もあります。

反対に、どれだけ望むものが手に入っても、どれだけ理想的な社会を実現しても、このセットポイントを大きく上に修正することは出来ないのです。これは、心理的な苦痛だけでなく身体的な痛みについても同じように言えます。すでに、痛みの感受性を決定するいくつかの遺伝子が特定されています。

そもそも、私たちの痛みや苦しみを感じる能力が引き継がれてきたのは、それが身体を保存させ、子孫を残す助けになってきたためです。盲目的で慈悲のない無計画なプロセスの産物である生物は、遺伝子の存続の観点から見れば最適化されているけども、個々の生物のウェルビーイングの観点から見れば、本質的に欠陥だらけなのです。このような、ダーウィン的な進化のメカニズムに従う限り、私たちが苦しみから解放されることはありません。

では、苦しみを根絶するために、私たちはどうするべきでしょうか?そこでピアースが提案する方法はとても単純です。主要な方法は、DNAの配列を自然の気まぐれに任せるのはやめにして、私たち自身でデザインすることです。


■ポストダーウィン的世界

ピアースは極めて現実的な思想家です。彼は世界全体のビーガニズムの実現には、人々の道徳心の向上に任せるだけでは不可能であり、人工肉などの技術的発展が不可欠であると主張していますし、同じく人々の道徳心にゆだねられる、自発的な絶滅を目指す強いアンチナタリズムやエフィリズムを、苦しみの根絶のためのアプローチとして現実的でないと退けます。

その点、彼の主張するバイオテクノロジーによる遺伝子の編集は、近い将来起こるだろうデザイナーベイビー革命と調和し、人々が広い道徳心を持っていなくとも、親が自分の子供の将来に抱く狭い関心の中だけで実行することができるのです。


この展望には懸念材料や批判もあります。中にはもっともなものもあり、それはピアース自身も認めています。どんなアプローチにも一つや二つの難点はつきものです。しかし、いくつかの懸念や批判は正当なものではありません。

例えば、痛みや苦しみがなくなってしまったら、危険を感知することができなくなり、不合理で向う見ずな行動が制御されなくなったり、致死的な怪我や病気に気づかず、通常の生活ができなくなったりしてしまうのではないか、という懸念があります。しかし、ピアースが主張しているのは、情報に敏感な知的至福状態(information-sensitive gradients of intelligent bliss)というもので、痛み、不安、罪悪感、鬱などの持つ、危機や望ましくない状態の情報を伝える機能自体は残しつつ、その「生の感覚」のみを取り除くというものです。それには、遺伝子の編集だけでなく、身体と人工的な器具の統合なども考えられています(ゲノム編集や人工装置との統合により、人間の機能改善及び拡張を推進する考えを、トランスヒューマニズムと言います)。

次に、遺伝子の編集による方法は、巨大な実験のようではないか、という指摘もあります。もちろんこれはある意味ではその通りです。しかし、ピアースが指摘するのは、すべての生殖は実験であるということです。これまで子供を作る人たちは、自分自身がどのような遺伝子のセットを持っているかも知らず、同じくどんな遺伝子のセットを持っているかも知らない相手と、どのような遺伝子が選択されるかわからない遺伝的ルーレットを回して遺伝子をシャッフルし、子供に引き継がせてきました。

また、「優生学」という言葉を持ち出す人もいます。これに対してもピアースは、それは実質的に私たちが将来の相手を選ぶとき(無力ではありながら)行っていることだと指摘します。しかし将来の親たちは、もっと合理的かつ責任ある遺伝子の選択が可能になっていくでしょう。この生殖革命こそが、古いダーウィンの宝くじと置き換えられる合理的な方法なのです。


■なぜそれが私たちの使命なのか

なぜ苦しみを根絶するための試みが、私たちのimperative―使命あるいは責務というまでに強いものなのでしょうか?一言で言えば、それが道徳的であるということだから、です。

ピアースは苦しみについてこう記述しています:

極度の身体的痛みに襲われたとき、人はその恐ろしさにいつも衝撃を受ける。 孤独、拒絶、実存的不安、嘆き、不安、鬱などの純粋な「心理的」痛みは、極度の身体的痛みほど残忍なものにはなりえないと考えたい誘惑に駆られる。しかし、世界で毎年80万人以上の人々が自分で命を絶つのは、主に心理的苦痛が理由である。他のもの―偉大な芸術、友情、社会正義、ユーモアのセンス、人格の向上、奨学金など―に価値がないわけではない。しかし、激しい身体的苦痛、あるいは心理的苦痛が―自分の人生にであれ、愛する誰かの一生にであれ―侵入してきたとき、我々はこの激しい痛みこそが、迅速な優先性と緊急性を持つものだと認識するのである。あなたが扉に手を挟んで悶えているときに、人生のより良い側面を思い出せ、などと誰かが言っても軽くあしらうだろう。恋愛で不幸な目にあって打ちひしがれているとき、軽々しく外は美しい日であるなどと指摘してほしいとは思わないだろう。

そして、なぜ今現在苦しみを経験してもいないものが、いつかのどこかの無関係なものの苦しみを考慮しなければならないのか、という問いについてはこう述べています。

自然科学は、「どこからでもない視点」という、観念的な神の目を目指している。物理学は、他のものより特権的な意味をもつ、特定のここでの今というものは存在せず、すべて等しく現実であることを教えてくれる。科学とテクノロジーはまもなく、このような神のごとき視点に見合う、生物世界全体を見据えた神のごとき力を我々に与えようとしている。私は、我々の苦痛と同様の苦しみを経験している知覚ある存在がいる限り、その苦痛は自分の痛みや愛する人の痛みと同じ優先度と緊急性で取り組まなければならないと主張する。伴う力によって、神のごとき力は神のごとき責任を引き連れるのだ。

自己中心的な錯覚は、利己的なDNAによってエンジニアリングされた、視点のトリックでしかない。

これは、ネガティブ功利主義者としての彼の立場の表明です。道徳とは、苦しみを回避し取り除くことであり、あなたはこの世界で決して特別な存在ではなく、全てのものの苦しみは等しく問題である、ということです。しかし、彼はこの立場は、あるものがネガティブ功利主義者であるかに関わらず、全てのものが従うべきものだと説明します。

例えばあなたが、苦しみを最小化するのではなく全体の幸福の最大化を目指すべきだと考える立場(古典的功利主義)を支持するものであっても、苦しみを取り除きつつ、ヘドニックセットポイントを上方修正するピアースの方法は合理的な選択になります。元々、苦しみを滅することを最も重大なことと位置付ける仏教的な考えを支持するものにとってはより調和的です。

他の宗教信仰者などの説得はより困難かもしれません。例えばアブラハム宗教の信仰者への説得についてピアースはこう述べています:

信者は―経験的な証拠におかしなところがあるにもかかわらず―アラーや神は限りなく同情的で慈悲深いと主張している。もし必滅の存在ごときが、すべての知覚的存在のウェルビーイングを思い描くことができるなら、神が彼の慈悲の範囲において、より制限的であると主張することは、冒涜的なことにも思えるだろう。

果たしてこの見方が有効な説得に繋がるかは別としても、最終的には、苦しみを取り除き、安定した幸福をもたらしうる機会を放棄してしまうには、よほどの理由が必要になるでしょう。



■ヒト以外の動物たち

苦しみの根絶の取り組みで主要な問題になるのは、当然ヒト以外の動物たちの苦しみです。非常に楽観的な言い方をすれば、ヒトの手によって苦しめられている動物たちは、代替製品の普及によって次第に解放されていくでしょう(そうでなければなりません)。しかし、それよりも問題なのは、野生動物の苦しみです。それについて彼はこう記述しています:

我々がグローバルなビーガニズムを実現したとしても、自然界には依然としてひどい残酷さが残るのは間違いないのではないか? 野生動物のドキュメンタリーは生きている世界を非常にバンビ化(穏健化)して伝えている。ヒト以外の動物が渇きや飢えや、捕食動物によってゆっくりと窒息させられ生きたまま食われるシーンを30分流して、TV番組として良いものは出来ないからだ。そして、食物連鎖は間違いなく必要なのだろうか? 自然は残酷である。しかし、個体数の爆発とマルサス的カタストロフィの苦痛のために、捕食者は常に不可欠なのだろうか?

そしてこう続けます

そうではない。 われわれが望むなら、知的エージェントは、複数種に有効な蓄積的な避妊薬を使用して、地球の生態系を再設計し、脊椎動物のゲノムを書き換え、残りの自然界の苦しみを取り除くことが可能になる。 ヒトでない動物の場合、解放は必要はない。 彼らは世話が必要なのだ。 我々には、人間の赤ん坊や幼児、老人や精神的に障害のある人たちと同様に、世話をする義務を負っている。この展望は遠いものに聞こえるかもしれない。 しかし、生息地の破壊は、今世紀後半に自然のまま残されているものはすべて、我々の野生動物公園であることを意味している。 我々は怯える生きたげっ歯類を、動物園のヘビに餌として与えないように、それが野蛮であると認識しながら、野生動物公園では「自然」だという理由で、本当に残虐行為を許容し続けるつもりだろうか?

彼は、全ての知覚を持つ生物に生殖をやめさせることで、苦しみを終焉させようと考えるエフィリズムには反対しますが、自然界の殺し合いで主要な役を持つ捕食動物に、それを一つの方法として適用することは示唆します。別のアプローチとしては、捕食動物と被食動物を隔離して管理し、肉食動物には人工肉を与えるというものなどです。

彼らの管理は途方もない作業と思われるかもしれませんが、上述の通り、彼は一つの仮定をしています。それは、自然は近い将来、いずれにしても私たち人間が管理しなければ維持できないほど破壊され、少なくとも陸生の野生動物の数は減少する、というものです。

この予測が間違いであった場合、そしてより未知の世界である海の生物たちの対処をする場合、個々の生物のゲノムを編集して管理し、徐々に生態系を再設計していくというような地道な取り組みが必要となっていきます。

これは現在の私たちからは、気の遠くなるような夢物語にも聞えるかもしれません。しかし、テクノロジーの進歩は驚くべきものです。今後、量子コンピュータや、自ら学習し自立して行動するAI(人工知能)などの出現により、私たちの持つ可能性は爆発的に増加するでしょう。そして私たちはそれを、苦しみを増やす目的のための利用ではなく、根絶するために利用していかなければなりません。

ピアースの提言の要点はまさにそこなのです。今私たちは、望もうが望まなかろうが、テクノロジーが爆発的に進歩し神のごとき力を得る前夜にいるのです。バイオテクノロジーの利用に反対しようが賛成しようが、それが新たに生まれてくる子供たちに適用されることはほぼ間違いないのです。そこで、本当に意味のある正しい利用法が何なのか、そしてそのために私たちはどうすべきなのか、今の時点から議論していかないといけないのです。


■私たちの使命

「生命の構造にメスを入れるのは神の領域の侵犯だ」という主張は、圧倒的なテクノロジーによって神の矮小さがディスプレイされた未来には、説得力を持って聞き入れられることはなくなるでしょう。「自然は美しい」という妄想は、互に食い合う残酷な生の自然を目の当たりにすれば、一瞬にして取り払われるでしょう。

改めて強調すると、問題は、ピアースの提唱する技術が適用されるかどうかではなく、それがどのように適用されるようにすべきか、なのです。

テクノロジーは順次応用され、社会と人々の意識を改革していきます。アニマルライツの広まりに伴って、野生動物の苦しみは無視しえない道徳的な最重要事項の一つになるでしょう。目先の利益に操られ、過ちを繰り返してきた人類の未来の世代がそこで正しい判断ができるかどうか、それは今現在を生きる私たちにかかっているのです。ピアースの提言は、その切迫性を訴えているのです。

私は、ヘドニズム的使命の本質はそこにあると信じています。今、この時点から、真に意味のある議論を始めていかないといけないのです。それが私たちの第一の使命なのです。


Further reading

ピアース自身による説明は、以下の動画を参照してください。


その他、彼の思想やヘドニズム的使命についてより詳しくは『The Real Argument - The Hedonistic Imperative』にアクセスしてください。


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