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非同一性問題について:危害の定義とアンチナタリズム

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非同一性問題について Kei Singleton Blog version First written: 21 Oct. 2018; last update: 21 Oct. 2018 Abstract 人口倫理学において、非同一性問題として知られる問題が存在する。一部の論者は、この問題はアンチナタリズムの推論の前提にある誤りを指摘するものであると主張する。この記事では、その指摘は本来の非同一性問題の前提を正しく理解した上で行われているものではないこと、そしていずれにしても、その指摘がアンチナタリズムへの反論として適切なものではないばかりか、むしろ非同一性問題について真剣に検討するほどアンチナタリズムという結論が不可避になることを説明する。 こちらで公開していた記事の内容は、現在 コチラ のpdfに収録している。

リチャード・ドーキンスとピーター・シンガーの対談

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YouTubeにアップしていた字幕付き動画が、著作権違反に該当したため、こちらに字幕を載せる 動画はドーキンス財団の公式チャンネルのもの 2008年に放送され、British Broadcasting AwardsでBest Documentary Seriesに選ばれた、動物学者リチャード・ドーキンス出演の英国のドキュメンタリーシリーズ『The Genius of Charles Darwin』よりピーター・シンガーとの対談 二人は対談でダーウィニズムが我々の倫理観に与えた影響を探る。肉食の問題だけでなく、中絶、カニバリズム、動物実験、チンパンジーとヒトのハイブリッドの作成、宗教など、様々な問題を取り上げている。 ―――――――――――― リチャード・ドーキンス:英国の進化生物学、動物行動学者、ポピュラーサイエンスライター。世界で最も有名な一般向けの科学解説者の一人であるが、その活動の一環として、宗教を始めとした、超自然的な信仰に対する批判も積極的に行っており、欧米を中心とする世俗主義ムーブメントを牽引する代表的人物となっている。『 利己的な遺伝子 』、『 神は妄想である 』など、多数のベストセラーを持つ。 ピーター・シンガー:オーストラリアの倫理学者。主要著作は『 動物の解放 』、『 実践の倫理 』など。世界で最も影響力を持つ人物の一人に数えられる。 00:01―ホモ・サピエンスの神聖視 D ピーター、あなたは世界で最も道徳的な人の一人に違いないでしょう。恐らくあなたは世界で最も論理的に一貫した道徳的立場を築いている人です。しかし、まさにその論理的一貫性ゆえに様々な方面から攻撃を受けているのではないかと思うのですが。 S 確かにその通りです。一方で私が最も批判を向けているのは社会の中のほとんどの人々の動物に対する態度です。我々は動物たちの利害を十分真剣に捉えていないと思うのです。そしてある意味では、ダーウィニズムの含意することの一つとしては、それらをより真剣に捉えるべきだということだと思うのです。あるいは少なくとも我々と動物たちとを隔てるバリアの一部を取り除くべきだということです。 しかしもう一方で私は、人はホモ・サピエンスという種の一員であるというだけで特別な存在であるとは思いません。例えば、ある人が生

培養肉を巡る倫理的問題とその改善可能性

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培養肉を巡る倫理的問題とその改善可能性: 我々は、新たな技術にどう向き合うべきなのか Kei Singleton Blog version. First written: 2 Sep. 2018; last update: 2 Sep 2018 Abstract 動物たちに多大な苦痛をもたらすことに加え、環境破壊や新興感染症発生の原因でもある破滅的なシステム――畜産に代わる新たな食糧供給手段として、培養肉(in-vitro meat)の生産可能性は注目を浴び、その開発が進められている。そして培養肉は、野生動物の管理や肉食動物の保護の際に与える食事としても期待されている。しかし、少なくとも現段階では、培養肉の製造はcruelty-freeではない。ここでは、そのような製造に伴う倫理的問題に加え、畜産の撤廃が人々の倫理観の底上げではなく培養肉などの代替製品の普及によって行われることで取り残される問題、そしてそれらの改善可能性及び培養肉の利用可能性について取り上げ、我々が取るべき態度について議論する。 Contents 1 Introduction 2 倫理的問題とその改善可能性 3 培養肉の本当の必要性 4 技術開発の問題と可能性およびそれらに対する向き合い方 5 Summary and Conclusion 1 Introduction  畜産は、気候変動の主張な要因であるだけでなく、土地利用、水利用、海洋酸性化、抗生物質の効かない耐性菌の発生、そして言うまでもなく、動物たちへの暴力と、それによってもたらされる途方もない苦痛の上に成り立っている。大量で安価な培養肉の実現は、それらの問題全てを解決、あるいは少なくとも大幅に改善する可能性を秘めている[1]。もちろん、これらの問題は、我々全員がビーガンになるという選択をすれば容易に解決されるものであり、培養肉の普及に伴って懸念される最初の問題として、他の解決手段を隠してしまうということが挙げられている[2]。あるいは、近い将来の培養肉の普及可能性が、現在畜産製品を購入し続ける口実に使われてしまうということも挙げることができる。また実際に培養肉などの代替製品の普及によって畜産業が撤廃されたとしても、人々の倫理観の底上げが起こっていない場合、種差別や暴力の根本

Zoopolis、干渉と自然状態 by オスカー・オルタ

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Zoopolis、干渉と自然状態 これは Oscar Hortaによる論文『Zoopolis, Interventions and the State of Nature』の要約と抜粋である。 注意事項: 元論文内の引用を二重に引用する場合にややこしくなるため、元論文からの引用はインデントを変えず、文字の色を 青色 にして区別する。文字色が区別されない形式で閲覧している場合や、その他なんらかの理由で色の識別が困難な方は注意してほしい Zoopolis, Interventions and the State of Nature Oscar Horta 2013 Law, Ethics and Philosophy 1:113-25 Abstractはそのまま引用する: Abstract DonaldsonとKymlickaは Zoopolisにおいて 、動物たちを助けるための自然への干渉は許容されることもあり、場合によっては、一般に直面する危害から動物たちを救うことが義務的でもあるとも議論している 。しかし、彼らはこれらの干渉にはいくつかの制限が設けられなければならないとも主張している。でなければ、野生動物たちが形成する、自治的なコミュニティと同様に尊重されるべきコミュニティの構造を崩壊させかねないためであるという。これらの主張は、生態系のプロセスは動物たちが自然界で良い一生を送ることを保証するのだという広く抱かれている仮定に基づいている。しかし、残念ながらこの仮定は全く持って現実的でない。ほとんどの動物はr-戦略者であり、存在を得て間もなく痛みの中死んで行くし、成体まで生き残ったものも、一般におぞましい危害に苦しむ。それに加え、ほとんどの動物はZoopolisが記述しているような政治的コミュニティは形成しない。そのため、野性の動物たちの置かれた状況は、人道の危機や、修復不能なまでに破綻した国家に類似したものとみなすことができる。それはHobbesの自然状態がそうなるであろう状態に合致する。これは、ヒトでない動物たちを助けるための自然への干渉には、DonaldsonとKymlickaが主張するような制限が設けられるべきでないということを意味している。 1. Introduction この論文は、Su

ロボット倫理:反種差別主義とアンチナタリズムの観点から

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ロボット倫理:反種差別主義とアンチナタリズムの観点から Kei Singleton Blog version. First written: 14 July. 2018; last update: 14 July 2018 Abstract この記事では、現在すでに積極的に意見が交わされているロボットの地位を巡る議論を、種差別主義と生殖の倫理と関連付けて考察する。ロボットの道徳的地位を巡る議論それ自体が、一般に認識されている以上に現実的かつ重要な問題であることを示すとともに、それを通して考察することで、ヒトでない動物の道徳的地位を尊重すべきであるという議論や、生殖の非倫理性を糾弾するアンチナタリズムの議論もまた、一層に重要かつ説得力のあるものであることを説明する。 こちらで公開していた記事の内容は、現在 コチラ のpdfに収録している。

アンドロイドサイエンスとアニマルライツ運動: そこにアナロジーはあるのか?

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アンドロイドサイエンスとアニマルライツ運動:  そこにアナロジーはあるのか? これは、David J. Calverleyによる論文『Android Science and the Animal Rights Movement: Are There Analogies?』の要約と抜粋である。 『 ロボット倫理:反種差別主義とアンチナタリズムの観点から 』において、この記事の要点をより簡潔な形で引用しているため、そちらもお勧めさせてもらう。 注意事項: 元論文内の引用を二重に引用する場合にややこしくなるため、元論文からの引用はインデントを変えず、文字の色を 青色 にして区別する。文字色が区別されない形式で閲覧している場合や、その他なんらかの理由で色の識別が困難な方は注意してほしい このブログ記事では、特に断りがない限り、「ヒトでない動物」のことを、「動物」と表記する。 参考文献は、元論文をあたってほしい。 Android Science and the Animal Rights Movement:  Are There Analogies? David J. Calverley Abstractはそのまま引用する: Abstract アンドロイドが人間のように課題を実行し、行動する日はすでに到来している。しかし、今のところ、これらの人工物を、我々の利益や娯楽のために利用する所有物以外の何かと見る準備をしているものはいない。システムがより洗練され、工学者が「意識的な」マシンを構築するよりせつなる努力をするにつれ、より多くの道徳的、倫理的、法的問題が生じる可能性があるだろう。動物の権利(アニマルライツ)運動に照らし合わせれば、適切な度合いの複雑さを考えると、アンドロイドも一定レベルの道徳的地位に値する可能性があることを示唆するアナロジーを描くことができる。しかし、アンドロイドが法的な人となる可能性があると主張するためには、他にも必要なものがある。つまり、アナロジーは完全なものではない。類似点にもかかわらず、動物とアンドロイドとの間には単なる身体性よりも深いレベルで著しい差がある。これらの類似点と相違点を同定することは、究極的には人間意識という概念をどう理解するかに依存するかもしれない。さらに、動物と

Anti-Suffering Anti-Life:アンチ-サファリング アンチ-ライフ

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Anti-Suffering Anti-Life アンチ-サファリング アンチ-ライフ "何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?ー世間は常に燃え立っているのにー。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?" ―ガウタマ・ブッダ[1] 美しい惑星の物語 我々の多くは、他のものを幸福にするために、意図しない苦しみを他者に強制することは悪いことだと信じている。しかし、これこそ出生のルーレットが行っていることである。例えば、ある赤ん坊は生まれて数日で痛みの中死んで行くだろうし、また別のものは生涯に渡る耐えがたい鬱病に苦しむだろう。これらの人々は、他のより幸福な人々が生まれて来られるようにするために生を強制されるのだ。 ...最良のオプションが自殺しかない一生に人々を強制的に送り出すことは、他のものが良い生活を送るために支払う代償としては大きすぎるものである。 ―ブライアン・トマシック[2] WHOの発表では、世界では推計3億2200万人が鬱病に苦しんでいる。世界人口の4%であり、日本の人口の3倍近くの数である。鬱病を主要原因として、年間80万人の人が自ら命を絶っている。これは、15歳から29歳の死因第2位で、40秒に1人が自らの生に終止符を打っている計算になる[3]。 想像してみてほしい。息苦しく、出口の見えない言い知れぬ不安や悲しみに襲われ続ける日々を。自分や自分に近しい存在の経験するものとして想像してみてほしい。 国連による発表では、2016年の飢餓人口は8億1500万人に達していた。これは、世界人口の11%、実に9人に1人の割合である。6秒に1人の子供が、その飢餓によって命を落としている。2050年には、この飢餓人口は(このままのペースで人口が増加するのならば)20億人増加すると予測されている[4]。 想像してみてほしい。栄養失調のために貧血、壊血病、皮膚発疹を起こし、壊疽(えそ)性口内炎によって顔面の組織が壊死していくことを。一時も満たされることなく、無力なまま息絶えていく一生を。自分や自分に近しい存在の経験するものとして想像してみてほしい。 世界には1億4000万人の孤児がおり、1億6800万人の子供が労働を強いられ、2億6300万人の子供が教育を受

「生まれてよかった」は生殖を正当化しない―シフリンの原理と承認による反論

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「生まれてよかった」は生殖を正当化しない ―シフリンの原理と承認による反論― この記事では、Seana Shiffrinの論文『Wrongful Life, Procreative Responsibility, and the Significance of Harm』[1]および、Asheel Singhによる論文『Furthering the Case for Anti-natalism:Seana Shiffrin and the Limits of Permissible Harm』[2]の要約を中心とし、アンチナタリズムの議論の一つとなるShiffrinの非対称性について考察する。 注意事項: 元文献からの引用はインデントを変えず、文字の色を[1]については ポンパドゥール 、[2]については 青色 にして区別する。文字色が区別されない形式で閲覧している場合や、その他なんらかの理由で色の識別が困難な方は注意してほしい Shiffrinが、現在シフリンの非対称性と呼ばれている生殖の道徳的問題を指摘する原理を提唱したのは、いわゆる「Wrongful life訴訟」に関連して書かれた論文『Wrongful Life, Procreative Responsibility, and the Significance of Harm』(1999)内であった。 Wrongful life訴訟とは、主に深刻な障害を持って生まれたものが、例えば親がそれを回避する手立て(中絶)をしなかったとか、あるいは医師がそのための十分な情報を親に提供しなかったなどとして起こす訴訟のことである。 しかしShiffrinは論文で、深刻な障害を持って生まれた場合や、親が無責任に子供を生み出した場合に限らず、生殖という行為そのものが道徳的に問題のある行為だと論じている。 Shiffrinの議論 まずShiffrinは、生まれた人の負荷についての責任を評価するのは、危機にある人を救おうとする人に、救出の際にもたらした害の責任を負わせるようなものであるというJoel Feinbergによる主張の問題を指摘する。彼の主張は、救助されることの利益を考えれば、その救助に伴う害の責任を負う必要はないのと同じように、生まれたことによる利益がその害を十分上回る