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手術の不要な不妊化法開発の背景と現状

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手術の不要な不妊化法開発の背景と現状 手術の要らない不妊化法を開発するために、どのようなアプローチが採られているのか、Linda Rhodesの論文 "New approaches to non‐surgical sterilization for dogs and cats: Opportunities and challenges." Reproduction in Domestic Animals 52 (2017)に簡潔にまとめられているので、その背景についての節を中心に、簡単に要約する。 背景 70年代の半ばから、手術の要らない犬猫の不妊法が研究されてきた。早期の研究では、性腺刺激ホルモン(ゴナドトロピン)や透明帯タンパク質など、生殖にとって重要な抗原に対する免疫応答を引き出す技術に焦点が当てられた。また、性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)についても研究が進められてきた。 過去数十年で、手術の要らない不妊化アプローチについて多くの研究が発表されてきたが、一つの例外を除いて、商用化に至ったものはない。その例外というのが、GnRH・アゴニスト・デスロリンを放出する長期的効用を持つインプラント(Suprelorin®: Virbac)で、EU、オーストラリア、ニュージーランドにおいて、6か月から12か月、オスの犬の妊性を抑制すると記載されている。 犬猫に効く免疫不妊剤(immunocontraceptive)で開発に成功しているものはない。あるオーストラリアの企業が犬のGnRHワクチンを開発したが、承認には至らなかった。GnRHワクチン(鹿と野生の馬用である、GonaCon TM )と、ブタ透明帯(porcine zona pellucida)ワクチン(野生の馬用である、Zona-Stat-H TM )が米国で承認を得ているが、どちらも永久的な不妊化の効果はない。 そして以下の部分は重要だ: 手術の要らない避妊法の開発は困難な問題であることが証明されてきた。犬や猫の生殖研究への資金提供の不足が状況を悪化させている。製薬会社は技術的理由と商業的理由を含めた様々な理由から、この分野への投資を渋っている。この資金不足は、イノベーションと新たなアプローチの不足に繋がる。手術による不妊化は、シェルターで

倫理の自然化―オーウェン・フラナガン 他

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倫理の自然化 オーウェン・フラナガン 他 Flanagan, Owen, Hagop Sarkissian, and David Wong. "Naturalizing ethics." Moral psychology 1 (2008): 1-26. の簡単な要約。 Introduction ここで扱われるのは (1) 倫理が自然化されるべき理由 (2) 倫理が未だ自然化されていない理由 (3) ヒュームとムーアの二つの誤謬に対する弁護 (4) 規範倫理学は、多元相対主義にコミットする人類生態学の一部として最もよく理解できるということ である。 広い意味での自然主義 自然主義とは、自然世界の一部としては理解できない存在や力を想定する超自然主義に相対するものを指す。そしてこれは、存在論的な意味についても、方法論的な意味についても言える。 なぜ倫理は自然化されていないのか 倫理が自然化されていないことには、米国や世界の他の多くの地域で、未だに宗教的影響が優勢であることが大きな原因の一つとしてある。しかし、神やそれに類する存在や力を信じるもっともな認識論的理由はないことは確かなので、それを考慮して話を進める必要はない…、というところに至るまでそれなりに説明がなされているが、日本ではそういった説明を要求されることはないほど比較的マシな状況であるため具体的に取り上げる必要はないだろう。 とはいえ、儒教や仏教のように、神秘主義的なものに基づいていない信仰もあることもある。特にブッダは、超自然的な存在論についてウィトゲンシュタイン(Wittgenstein)的な「語りえぬことについては、沈黙しなければならない」といった態度を貫いており、例え仏教的な教えに超自然的な記述が含まれていたとしても、ブッダの思想の本質的な部分はそれらを無視しても一貫した形で成立する。ちなみにフラナガンらがウィトゲンシュタイン主義者(Wittgensteinian)的と呼ぶブッダの態度は、日本語では「無記」と呼ばれる。 なぜ自然化なのか 自然主義的倫理は、上記のような超自然的存在論に反対する立場であり、二元論なども否定する。ただし、 倫理的自然主義が主眼を置いているのは存在論ではなく、道徳的要請にアプローチするため