ネガティブ功利主義とは

ネガティブ功利主義(Negative utilitarianism)とは


ネガティブ功利主義(Negative utilitarianism)とは、功利主義の中でも、幸福を増加させることよりも、苦しみを最小化することに圧倒的な優先度があると考える立場。その優先度は立場によって差異があり、幸福の促進の重要性は全くないと考える立場もある。ここで注意しなければならないのは、ネガティブ功利主義はあくまで功利主義の一派であり、苦しみを最小化することに優先度を置く立場の全てがネガティブ功利主義に分類されるわけではない、ということである。

Contents:

  1. ネガティブ功利主義という名称の由来 
  2. ネガティブ功利主義の分類 
  3. アンチナタリズムとの関係 
  4. 義務論との関係 
  5. ネガティブ功利主義の帰結


1. ネガティブ功利主義という名称の由来


ネガティブ功利主義という名称は、カール・ポパー(Karl Popper)が著書『開かれた社会とその敵』で行った主張が由来となっている。彼はそこでこう述べている:

倫理的な観点から見て、私は苦しみと幸福の間、あるいは痛みと喜びの間に対称性はないと信じている。功利主義者の最大幸福の原理や、カントの「他者の幸福を促進するべし...」という原理はどちらも、私にとっては(少なくとも彼らの定式では)この点において根本的に間違っているように思える…私は、人間の苦しみというのは、助けを求める直接的な道徳的訴え持つが、上手くやっている人の幸福を増加させることが、同様の訴えを持つとは思わない。

そして、さらにこう続ける:

道徳的観点からすれば、快が痛みに勝ることはない。特に、あるものの快の重大さが、別のものの痛みより上回ることはない。最大多数の最大幸福ではなく、より謙虚なものとして、すべてのものについて、回避可能な苦しみを最小にすることを要求すべきである。そしてさらに、食糧の不可避な不足のときの飢餓のような不可避な苦しみについては、可能な限り平等に配分されるべきである。…この倫理の見方と、私が『科学的発見の論理』で主張した方法論との間にある類似性が存在する。我々の要求をネガティブに定式化すること、すなわち、幸福の推進ではなく苦しみの除去を要求することで、倫理の分野に明確さを加えることになるだろう。同様に、科学的方法のタスクを、確立された真実よりも、(暫定的に支持された様々な理論から)誤った理論を取り除くことと定式化することの方が有用である。

ネガティブ功利主義という用語は、1958年に作家ニニアン・スマート(Ninian Smart)がこの主張への返答の中で用いたのが始まりとされる。ただし、ポパー自身はこれを公共のポリシーとして提起したものであり、個々人の行動について述べたものではなかった。そして何より、ポパーは功利主義者ではなかった。正義論を提唱したジョン・ロールズもポパーの考えに影響を受けている可能性があることも示唆されており、これらの考えは比較的に検討されることも多々ある。

2. ネガティブ功利主義の分類


ネガティブ功利主義者も、苦しみを取り除くことに相対的な優先性はあるが、幸福を増大させることにも道徳的価値が存在すると考えるものと、苦しみを取り除くことに絶対的な優先性があり、幸福を増大させることに道徳的価値は存在しないと考えるものに分けられる。

苦痛の総量を減らすことを優先すべきと考える総量ネガティブ功利主義(Total negative utilitarianism)と、ある閾値を超えた苦しみの価値論的悪さは、それ以下の強度の苦しみをどれだけ合わせても超えられないと考える閾値ネガティブ功利主義者(Threshold negative utilitarianism)の区別、また、経験的な苦しみ(や喜び)を基準とするネガティブ快楽主義的功利主義(Negative hedonistic utilitarianism)と、選好の充足を基準とするネガティブ選好功利主義(Negative preference utilitarianism)の区別なども可能である。

3. アンチナタリズムとの関係


喜びよりの増加や促進よりも苦痛の除去と回避を優先するネガティブ功利主義は、一見アンチナタリズムと親和性が高いと思われる。しかし、アンチナタリストの多くはネガティブ功利主義を基盤においているわけではないし、反対にネガティブ功利主義者がアンチナタリズムを支持しているとも限らない。第一にアンチナタリズムの代表的提唱者であるデイヴィッド・ベネター(David Benatar)も功利主義者ではないし、ネガティブ功利主義を代表するものたちも、アンチナタリズムに(少なくとも部分的に)否定的な見方を示している。

まず、ネガティブ功利主義の代表的人物であるデイヴィッド・ピアース(David Pearce)は、苦しみを根絶する方法としてのアンチナタリズムを支持するものを強いアンチナタリスト、個人的な範囲で生殖を控えるものを弱いアンチナタリストとして区別し、現実性の点から前者に対して否定的な見方をしている。

もう一人、ネガティブ功利主義の代表的な人物ブライアン・トマシック(Brian Tomasik)もピアースと同様の見解を示す。トマシックは倫理的アンチナタリズム運動を歓迎すると述べ、次のような的確な指摘もしている:

我々の多くは、他のものを幸福にするために、意図しない苦しみを他者に強制することは悪いことだと信じている。しかし、これこそ出生のルーレットが行っていることである。例えば、ある赤ん坊は生まれて数日で痛みの中死んで行くだろうし、また別のものは生涯に渡る耐えがたい鬱病に苦しむだろう。これらの人々は、他のより幸福な人々が生まれて来られるようにするために生を強制されるのだ。

我々の世界はフィクションの世界であるオメラスよりはるかに悪い場所だ。他の全てのものの繁栄のために一人の子供に苦しみを強制するどころか、現実世界での出生は、残りのものに平凡からそれなりの人生を送らせるために、途方もない数の人々を苦しませている。

鬱病は、米国で1500万人の成人、すなわち米国の18歳以上の人口の6.7%に影響をあたえており、恐らくそのうちの結構な数が、生まれなければよかったと思っているだろう。...最良のオプションが自殺しかない一生に人々を強制的に送り出すことは、他のものが良い生活を送るために支払う代償としては大きすぎるものである。

しかし、上述のように、彼も効率性や実現性の観点から、強いアンチナタリズムとは別のアプローチを推奨すると語っている

特に彼にとって許容し難い立場はVHEMT(自主的な人類絶滅運動)のような環境主義的アンチナタリズムだ。彼らは重大な野生動物の苦しみを無視しているためである。VHEMTの代表レス・ナイト(Les Knight)は、人類の存在しない地球を「エデンの園」とまで表現して美化している。だがもちろん、人類が存在しなくなっても、野生では相変わらず陰湿な殺し合いが続いていく。 この点を挙げ、トマシックはVHEMTのようなアンチナタリズムを「良くてせいぜい不完全で、最悪の場合明らかな間違い」と切り捨てている。

トマシックの主張は、人類が存在することで、野生動物の個体数が抑制でき、彼らの救済も可能になるため、総合的に見れば苦しみを抑制する効果を持つ可能性があるということである。一方で、彼は人類が存続することで、生物の生息領域を地球外へと広げ、苦しみを増やすことなども懸念している。要点としては、子供を作ることによる影響を計算することが極めて困難であり、現実的にアンチナタリズムの普遍的受容は困難に思えるばかりか反発さえ招きうるため、苦しみを減らすためのより現実的な別のアプローチを模索する方が良いのではないか、ということである。

トマシック自身が認識しているように、野生動物の苦しみの総量を減らすことにつながる可能性があるからと言って、ナタリズムが支持されるわけではない。しかし、この見方をあえて極端に推し進めた、野生動物の苦しみを減らすために人口を増やすことは合理的な方法ではないか、という質問に対して、ベネターは危険な発想だときっぱり退けている。(改めて強調しておくが、ネガティブ功利主義からもこのような向こう見ずな発案がなされることはない。)

また、いずれにしてもピアースが述べるのは、アンチナタリストもネガティブ功利主義者も、共にオメラスを歩み去るものであるという点で共通しているということだ。そして苦しみの根絶を優先すべきであるという考えは、ネガティブ功利主義者ではなく、他の功利主義的立場や義務論、宗教的道徳観など、どんな立場に従うものであっても支持すべきものであると主張する

4. 義務論との関係


ネガティブ功利主義よりも上位の概念として苦しみに焦点を当てた倫理(Suffering-Focused Ethics)というものがある。これは、その名の通り、苦しみの除去や回避に焦点を当てた倫理的立場であるが、必ずしも功利主義的基準を用いることに制限されないため、より広いアプローチや価値判断が含まれる。

ネガティブ功利主義者でもこの名称を用いて自身の立場を表明し、プロモーションすることがあるが、その一つの理由は、“ネガティブ”-“功利主義”に人々が持つ抵抗が、より多くの人が苦しみに焦点を当てることの障害になることを避けるためである。

そこで提案されているアプローチの一つが、ネガティブ功利主義と義務論の統合である。これは、ネガティブ功利主義的な観点から苦しみの除去に焦点を当てつつも、例えば、より多くの苦しみを取り除くためとはいえ「大半のものが大きな悪であるとみなすようなことをしてはいけない」というような義務論的な制約も加えるというものである。この提案をしているブライアン・トマシック自身は、自分の倫理的立場も大体このようなものであると語っている

5. ネガティブ功利主義の帰結


ネガティブ功利主義に従えば、何ものも存在しない状態や、もしそれが人道的な形で、すなわち、不本意な苦しみを増大させない形で可能であるなら、世の中の一切を消滅させることさえ道徳的に問題ない、あるいは正しいことだということになる。これも、ネガティブ功利主義から導かれる最も反直観的な帰結として、スマートが指摘したものである。

これには様々な反論もあるが、それを率直に認めるものもいる。だが、同時にこのシナリオには、不本意な苦しみを増大させないという仮定が常に伴うことを忘れてはいけない。デイヴィッド・ピアースはこの点を理由に、積極的な絶滅は実行性の面で現実的でない(すなわち苦痛を増大させないという仮定が成り立たないため、道徳的に問題が生じる)として、バイオテクノロジーによる生物システムの再エンジニアリングによる苦しみの根絶というアプローチを提唱している。

ピアースはそれに加え、ナイーブな解釈を推し進めた場合、文明や生物の消滅が義務付けられる(obliged)のは古典的功利主義の方であるとも反論する。ネガティブ功利主義は、仮にピアースのようなアプローチが成功し、苦しみが根絶された場合、その役割は休止する。一方で快の増大を義務付けられる古典的功利主義者は、究極的には文明や生物などあらゆる複雑なものを犠牲に、物質やエネルギーを可能な限り快楽を経験する最小単位(utilitronium)に変換し、最大限の効率で拡散し続けなければいけなくなる(この現象をユーティリトロニウム・ショックウェーブと呼ぶ)。

彼はこれを理由に古典的功利主義に欠陥があるということを指摘しているのではない。彼が示唆しているのは、ネガティブ功利主義だけでなく、どんな立場でもナイーブな解釈をすれば反直感的な帰結が導かれるため、その点を理由にネガティブ功利主義を否定するのは合理的でないし、そのような批判の仕方をするにしても、少なくともその姿勢を他のあらゆる立場にも適用しないとフェアではないということだ。



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