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植物の意識という神話への反証

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 植物の意識という神話への反証 ※本記事の内容は,より詳細な補足や関連する研究の結果と共に,以下のリンク先のpdfファイルにも収録してある。 >> ダウンロードページ << ■はじめに 未だに、植物にも意識があると信じる人、あるいはそう信じるふりをすることが、ビーガンにならないことを正当化する理由になると信じる人が多くいる。 『 ビーガンFAQ:#プランツゾウ 』において、そのどちらの信念も誤りであるということを議論しているが、ここでは前者の信念、すなわち植物にも意識があるという考えの問題点をまとめた論文『 Debunking a myth: plant consciousness(植物の意識という神話への反証) 』の内容を要約し、紹介する。 この論文は解剖学者Jon Mallatを筆頭著者とし、膜の物理を専門にするMichael Blatt、病態生理学者Andreas Draguhn、植物の環境への適応を研究する植物生理学者David Robinsonそして、もう1人の植物生理学者Lincoln Taizによって書かれた、「植物も意識を持つ」という主張への反論を示すものである。 Mallatは、神経科学者で意識の科学を専門とするTodd E. Feinbergと共同で、意識の基底とその起源についての研究を行っており、Taizをはじめとする残りの著者らは、FeinbergとMallatの研究に基づき、『 Plants neither possess nor require consciousness(植物は意識を持つことも必要とすることもない) 』をはじめ、植物意識の存在を否定する一連の研究を発表している(一部『 ビーガンFAQ:#プランツゾウ 』内でも引用している)。 この論文は、こうした研究の1つのまとめとして、植物意識を支持する側が持ち出す12の主張をリストアップし、その1つ1つに対し、それがなぜ間違いであるかを示すものとなっている。 論文で扱われるのは、以下の12の主張である: 生きた細胞の1つ1つに意識がある 植物の意識は、環境の変化を感知して適応的に対応して目標指向行動のために情報を統合し、その過程で意思決定を行っていることに現れている 膜電位と電気...

社会的意味論:群淘汰理論はどれほど有用であってきたか

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社会的意味論:群淘汰理論はどれほど有用であってきたか 本記事では、群淘汰理論が進化生物学の分野でどのような評価を受けているのかを概観するための資料として、S. A. West、A. S. GriffinおよびA. Gardnderによるcommunication論文 (2007) の内容を要約して紹介する。 この論文の内容は、我々は群淘汰に関して三種類の誤った認識を抱いているというD. S. Wilson (2007) の主張に対する反論であり、Wilsonらの主張を具体的に取り上げて問題を指摘している。 ◆概要 まず、原論文の概要をそのまま引用する: 我々の社会的意味論のレビュー (J. Evol. Biol., 2007, 415–432) では、群淘汰に関連する誤解や混乱の原因について議論した。Wilson (2007, this issue) は、我々は群淘汰に関する三つの誤りを犯していると主張している。ここでは、この主張に反論するために、我々のレビューから関連する点をより詳細に説明することを目的としている。過去45年間の研究は、血縁淘汰のアプローチおよび群淘汰のアプローチの相対的利用の明確な証拠を提供している。血縁淘汰の方法論はより扱いやすく、群淘汰アプローチの有用性を説明するためにWilsonが選択した例を含む特定の生物学的事例に対して、より簡単に適用できるモデル構築を可能する。対照的に、群淘汰アプローチは有用性が低いだけでなく、しばしば、徒労につながる混乱を助長することにより、ネガティブな帰結をもたらすように思われる。より一般的には、血縁淘汰理論は、あらゆる分類群に適用できる統一された概念的要約の構築を可能にする一方で、群淘汰にはいかなる形式理論も存在していない。 ◆誤認1:古い群淘汰と新しい群淘汰 Wilsonによれば、一つ目の誤認は「古い」群淘汰理論と「新しい」群淘汰理論の間には、歴史的に概念的にもつながりがない、というものだ。ここで彼らが古い群淘汰論といっているのは、いわゆる「自然淘汰は群単位で作用し、生物には種の保存のために行動する基本的な本能が備わっている」といったいわゆるナイーブな群淘汰論のことである。 しかし、Westらは、それらの間につながりがあることには元々同意しているが、重要なことは、新たな群...

老いの現代生物学:私たちはなぜ老いるのか

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老いの現代生物学:私たちはなぜ老いるのか はじめに 老いは私たち動物の多くにとって、最も大きな苦しみの原因の一つである。そこで、いかにして老いを食い止めることができるのか、若返りは可能か、不老不死は(様々な意味で)良いことなのか、あるいはそもそも、老いをどのように定義し、どう分類すべきなのか、など、老いに関して問うべきことは多くある。 だが実は、そもそも第一に問うべきことの一つ、「私たちはなぜ老いるのか」という問いに対しても、コンセンサスの得られた答えはまだ与えられていない。ここでは、老いに関するいくつかの競合する理論や仮説を概説したKunlin Jinの論文  "Modern biological theories of aging."  (2010) を紹介する。 Jin, Kunlin. "Modern biological theories of aging."  Aging and disease   1 (2) (2010): 72. 概要だけ紹介しようと思ったが、あまりにコンパクトにまとまっているので、全訳載せさせてもらうことにした。以下はすべてその論文の内容である。 ■概要 近年の分子生物学および遺伝学における進歩にもかかわらず、ヒトの寿命を制御する謎はまだ解明されていない。 プログラム理論とエラー理論という二つの主なカテゴリーに分類される多くの理論が、老化の過程を説明するために提案されてきたが、どちらも完全に満足のいくものではないように思われる。これらの理論は複雑に相互作用している可能性がある。既存および新たな老化理論を理解し検証することで、順調な老化を促進することが可能になるかもしれない。 ■老化の理論 なぜ私たちは年をとるのか?私たちはいつ老化を始めるのか?老化のマーカーは何か?私たちが成長できる年齢に限界はあるのか?これらの問いは、過去数百年の間、人類によって深く考えられてきたことである。しかしながら、近年の分子生物学および遺伝学における進歩にもかかわらず、ヒトの寿命を制御する謎については、未だに解明されていない。 老化の過程を説明するために多くの理論が提案されてきたが、そのどれも完全に満足のいくものではないようである(1)。伝統的な老化理論は、老化は適応で...

動物福祉に関する議論における科学者の役割 by ユヴァル・ノア・ハラリ

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動物福祉に関する議論における科学者の役割 by ユヴァル・ノア・ハラリ 『 サピエンス全史 』や『 ホモデウス 』の著者として知られる歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが語る、動物の福祉に関する議論における科学者の責任と役割について。 以下は動画の全訳である。 Kei Singleton "異なる意見を持つことはできますが、科学的事実を知らないのであれば、その意見は大して相手にされるべきものとはならないでしょう。" ―みなさんこんにちは。 動物福祉における科学や科学者の位置づけについて少しお話したいと思います。 科学者は一般に、政治的議論や倫理的議論から距離を置こうとします。しかし、特に21世紀においては、ますます多くの政治的、そして倫理的問いが、科学的知識や、科学的事実や理論を知っているかということに依存するようになってきています。例えば、地球温暖化から、人工知能や遺伝子工学の台頭まで、様々です。 あなたは、これらの問題ついて異なる意見を持つことはできますが、科学的事実を知らないのであれば、その意見は大して相手にされるべきものとはならないでしょう。 そして科学者たちは、より大きな政治的そして倫理的責任を担うべきなのです。彼らは、この文脈においては、沈黙も一つの政治的主張であるということを知るべきです。もし科学者たちが何か重要なことを知っており、それが現在の政治的議論において意味を持つものでありながら、それを公で話さないという選択をするのなら、それもまた一つの倫理的選択なのです。 もちろん、科学は倫理的問題を決定することはできませんし、それは科学の役割ではありませんが、科学は事実に関する問題を決定することができます。科学は私たちに何が良いことなのかを伝えることは決してありません。それは私たちに何が現実のことで、何が本当のことなのかを教えてくれるだけです。 残念なことに、特に動物に関して、あまりにも多くの倫理的な議論がこの事実の段階で行き詰まっています。そのため、科学はこれらの議論を前進させるのに非常に役立つ可能性があります。 牛や鶏、豚などの畜産動物の福祉についての議論では、二つの重要な事実上の問いがあります。一つ目は、動物たちはそもそも苦しむことができるのか?ということ、そして次に、動物が...