同じ倫理的コインの表と裏:アンチナタリズムとビーガニズム

Two sides of the same ethical coin:

Antinatalism and Veganism

First written: 18 May 2018
Last updated: 8 Apr 2019 

Contents:

1. 出生産業の支持者⇒プロ-ナタリスト

2. ブリーディング⇒搾取

3. Not Your Life⇒Not Your Choice!


1. 出生産業の支持者⇒プロ-ナタリスト



私の議論は、人類だけでなく、他のあらゆる知覚ある存在にも適用される。
―デイヴィッド・ベネター1

これは地球上の生命に関することだ。DNAのメカニズムに関することなのだ。
―インメンダム2

***


「アンチナタリズムとビーガニズムにどんな結びつきがあるのか?」ととぼけた顔で聞くアンチナタリストは日本にも海外にも未だに多く存在している(日本ではその場合、アンチナタリストではなく反出生主義者を自称している場合が多いだろう)。

恐らく彼らは、家畜や伴侶動物として消費されるものたちは生殖によってではなく自然とどこかから湧いて出てくる存在だとでも思っているのだろう。

念のため言っておくが、もちろんそれは事実ではない。メスの動物たちが強制的に妊娠させられ、その子供たちが新たに地獄に出生させられている。

その数は家畜だけでも毎年数百億のオーダーである3。動物産業を支持するものは、例えばホモ・サピエンスの出生に反対するという意味で部分的にアンチナタリストではあっても、より一般的な基準からすればプロ-ナタリスト(積極的出生主義者)に分類されるのが自然であろう。

これに対し、アンチナタリズムと言っても動機は様々であるから、一概に一般的な基準を定めることは出来ない、という反論はよくあるものだ。しかし、その反論は全く持って正当なものではない。

もし何らかの倫理的な理由からアンチナタリズムを掲げているのなら、具体的なルートはどうであれ、それは必ず誰かの苦しみに対する配慮が基になっているはずである(そもそも、もしそうでないとしたら、それは倫理的主張として意味を成していない。そして、倫理的主張でないのなら、生む「べき」でないという主張の仕方をすることは出来ない)。そこで問題になるのは苦しみを経験する(潜在的な)能力の有無だけであり、その他の性質を理由に本質的な判断を変化させることは道徳的に正当化不能な差別に他ならない。

ビーガンになろうとしない反出生の主張は、基本的には他のノンビーガンの主張と同じで、プランツゾウやライオンゾウあるいは自然(natural)・普通(normal)・おいしい(nice)の3Nなどであるが、これらを理由に自分のもたらしている危害を正当化しようとすることは、結局は生殖という行為をも正当化することになる。

例えば植物も動物も同じ命だからというのなら、同じ命であるホモサピエンスという猿の生殖と植物の栽培にも違いがなくなり、アンチナタリズムの意義は消滅する。それが自然であるとか楽しいからとか、あるいは我慢するのが辛いからという理由でも結論は同じである。

またしばしば見かける別の議論は、アンチナタリスト、あるいは反出生は、新たに生まれてくるヒトの数を減らしているから、間接的にヒトでない動物の犠牲も減らしているため、ビーガンにならなくてもよい、というものだ。しかしこの議論は何もヒトでない動物の搾取だけではなく、ヒト間の争いや搾取についても当てはめることができてしまう。つまりこの主張は「私は新たに生まれてくる人間を減らしているから、潜在的な殺人やレイプの件数を減らしている。よって私にはをそれらを行っても咎められない特権があるのだ!」と言っているのと同じだということだ。

では、厭世主義的な観点からのアンチナタリズムや、環境主義的な理由から人類のみの絶滅を目指すVHEMT(自発的人類絶滅運動)などはどうなのか、という指摘もあるだろう。

まず、デイヴィッド・ベネター(David Benatar)や、ジェラルド・ハリソン(Gerald Harrison)とジュリア・タナー(Julia Tanner)らの主張する厭世主義的観点からのアンチナタリズム4, 5は、あくまで人類が生殖をすべきでない理由の一つに過ぎず、彼らは人類の生殖さえ阻止できれば、全ての問題が解決されるというような主張はしていない。

VHEMTもまた、他の種に属する動物たちへの配慮が中心的な動機であり、リーダーのレス・ナイト(Les Knight)や、多くの支持者がベジタリアンやビーガンである6, 7。VHEMTの間違いは、世界で生じている苦しみの大半が人類が他の動物に及ぼしているものだという誤解と、環境主義に立脚している時点で、総合的な意味で種差別的な要素を含むことが不可避なことである(環境主義がなぜ種差別的であるかについては『トピック:野生動物の苦しみ』参照)。

それでも環境主義を掲げる以上、畜産を支持するなどというようなことはあり得ない。ジェームズ・フランシス・キャメロン(James Francis Cameron)の言うように、「肉を食べながら環境主義者を名乗ることは出来ない」からである8

真に種差別主義を乗り越え、理性的な観点からものを見るのであれば、全ての知覚ある生物の絶滅を目標にすることが最も一貫した立場となるが、現実的には他の種の不妊化には多くの技術的困難がある。また、ビーガニズムや人類に関するアンチナタリズムすら十分認知され受け入れられていないことを考えれば、それらを優先的に議論していくべきだという主張も合理的である。ただ当然それは動物産業の否定と両立することであり、倫理的アンチナタリストが同時に取り組むべきことである。

要するに、いずれにしても、人為的に積極的な繁殖を行う動物産業を支持するような主張は、どの倫理的アンチナタリズムの立場からも導かれない(そして、倫理的でないアンチナタリズムからは始めから何も導かれない)。

厳密には、生殖に反対するアンチナタリズムと、あらゆる動物の搾取に反対するビーガニズムが完全に一致するわけではない。例えば漁業を含めた狩猟などについてはアンチナタリズムの枠組みの外の問題になるからである(当然養殖などはアンチナタリズム的観点からも許容されない)。しかし、あえてそのようにして得られた動物の死体を摂取する生活を選択する理由もなく、一貫したアンチナタリズムを支持するのであれば、実質的にはビーガンとしての生活を選択することになる。



2. ブリーディング⇒搾取



子供を持ちたいのなら、より好ましい道徳的選択が養子縁組であることは明々白々なことのように思えます。
―ゲイリー・フランシオン1

***


一方で、ビーガンが必ずしもアンチナタリストであるというわけでもない。これもまた問題であるが、この場合も、ビーガンと言っても様々な動機が存在しているという指摘があるだろう。ではまず、ビーガニズムの定義をおさらいしよう:

ビーガニズムとは、食品や衣服、その他いかなる目的のためであっても、動物に対するあらゆる搾取と残酷行為を、可能で実践できる限り排除する生き方2

アンチナタリストであれば、生殖が許容しがたい残酷行為であることに異論はないだろう。おおよそ、この世に生まれたもので、一切の危害の被害者とならずに一生を終えるものはいない(多くのものにとって、死それ自体が著しい危害とみなされる)。であれば、その個々の被害すべての発端となる生殖が、残酷行為に分類されることを逃れる術はないだろう。

生殖は100%生み出す側の利益のために行われるものであり、子供という動物の利用に他ならない。そして、たとえその子供がビーガンとして育ったとしても、彼らがこの社会で他者の搾取に寄与しないということもあり得ない。

何より、その定義からアンチナタリズムとビーガニズムが不可分であることを決定づけるのは、定義の中の「可能な限り」という部分である。すでに生まれた存在が完全に他者の搾取に寄与せず生活することは不可能であるため、現実的な基準をどこに設定するべきかには議論があるが、一般的な消費行動の中での選択を中心にした範囲での実践が要求されるのが通常である。しかし、潜在的な子供を生みだすことをやめることによって、その子供一人分の搾取を100%回避することが出来るうえ、それが実践的にも十分可能であることを考えれば、やはりビーガンが子供を生みだすことは、道徳的に大きな矛盾のある行為と言える。

現在では、動物製品の消費を避けて生活するという選択より、子供を作らないという選択の方がはるかに容易であり、前者がビーガンとして当然の選択であるとみなされるのなら、後者も取るべき選択から除外される理由はないだろうからだ(動物製品の消費は不可逆なのに対し、生殖には中絶という選択もある)。

ただし、フランシオンも先に引用した投稿の中で述べているように、子供を作ったからとはいえ、ビーガンでなくなるというわけではない。一度過ちを犯したからと言って、二度とビーガンとみなされなくなるということはないからである(それゆえ、ビーガン・ブリーダーという用語が存在するのである)。

もう一つ明らかな問題は血縁主義の問題だ。ビーガニズムとは基本的に反種差別の実践である。人種や性別の違いが誰かを不当に扱う理由にならないのであれば、種を理由にした不当な扱いも正当化されないはずだという認識によって、道徳的な配慮の領域を拡大することを目指す思想である。

そのため、フランシオンの掲げる廃止論的ビーガニズムでは、原理の一つとして、人類に対するあらゆる差別も許容されないことが明示されている:

廃止論者は、種差別と同様に、人種差別、性差別、異性愛主義、年齢差別、障害者差別、階級差別を含む、あらゆる形態のヒトに対する差別を拒絶する。3

これは、本来わざわざ明示しなくとも、廃止論を支持するビーガンに限らずあらゆるものが共有していなければならない認識である。したがって、人種というカテゴリよりさらに内にある血縁という要素に固執するような態度は、ビーガンとして相応しくないものと言えよう。フランシオンはこう述べている:

あなたが生物学的な子供を作るということは、すでに存在している、あなたを必要としている子供を引き取らないということです。愛や家族は血縁の問題ではありません。それらは心の問題であって、愛はそのような生物学的性質に制限されるものではありません。多くの人々は、自身の存在を永続させる方法が、自分のDNAを持つ子供を作ることだと考えています。これを愚かと呼ぶことは、愚かな考えに対する侮辱でしょう。みなさん、現実を受け入れてください。私たちはみな死にます。あながた何をしようと、何もあなたを世界に永遠にとどまらせることはできません。そしてもし、あなたが「あなた」自身を自分のDNAと同一視するのなら、私にはそれは自己に関する貧しい発想に思えます。

念のために触れておくと、私は環境保護や健康のためにビーガンになったのであって、商用とされる動物に対する道徳的配慮からではない、というものもいるかもしれないが、それは先に挙げた定義からして本来のビーガニズムが意味するものではない。

しかし、環境保護のためにプラントベースを実践しているというのなら、なおさら子供を作るのは破滅的な選択になる。子供を作ることは、おおよそ一人(行為としては二人)の人間が行えることで、環境にとって最悪の行為だからである。

サイエンス誌記事『カーボンフットプリントを減らす最良の方法は、政府が語らないあること』より、ライフスタイルの変化法ごとのカーボンフットプリントの減少量

アンチナタリズムがビーガニズムに完全に含まれないのと同様に、ビーガニズムもまた、最も強いアンチナタリズムにまで完全に含まれるわけではない。希少種の繁殖に積極的に寄与したり、保護した伴侶動物を不妊化しないことは問題にできても、積極的に野生動物の不妊化に努めることまでビーガニズムの実践の範囲として要求することは困難かもしれない4

しかし、自身の子供を作らないこと、他の動物を繁殖するあらゆる産業に反対すること、これらはビーガンとしてすべき最低限の選択であり、一般的な倫理的アンチナタリズムの基本的立場と完全に一致する。


3. Not Your Life⇒Not Your Choice!



Not Your Body, Not Your Choice
(あなたの身体ではないのだから、あなたに選択の自由はない)

これは、プロ-ライファ―(中絶反対派)の掲げる定番の文句であり、ビーガンが(しばしば彼らへの皮肉を込めて)転用するものでもある。これをプロ-ライファ―たちが掲げることの何が皮肉かといえば、彼らの多くはビーガンでもアンチナタリストでもないということだ1

これをビーガニズムおよびアンチナタリズムの文脈で掲げた時に何を意味するのかは明らかだろう。犠牲になる第三者がいる以上、食品や衣服などをはじめとした商品としての動物の利用は個人の自由ではないし、生まれることを望んでいないものに、一方的に一生分の苦しみと死を押し付ける生殖も、個人の自由として認められるものではない。

ビーガニズムもアンチナタリズムも、厳密な定義がどうであるか以前に、他者に明らかに回避可能な苦しみを押し付けることは悪であるという極めて根本的な道徳原理の直接的な応用に過ぎず、これらの思想は、そもそも自身で何を称していようが、誰もが従うべき基本的な道徳原理なのである。それを放棄することは、もはや道徳そのものの放棄に等しいだろう。

動物産業を支持するアンチナタリストや生殖によって新たに被害者かつ加害者を生み出すビーガンは明らかに一貫性に欠けるということで批判の対象になるが、アンチナタリストであるからビーガンでないといけないとか、ビーガンであるならアンチナタリストでないといけないとかではなく、考える頭があるなら誰も他者の搾取も生殖もしてはいけない、という単純なことなのである。

コインを作れば必ず二面できる。片面を向けても、その裏面の存在を消し去ることはできない。生殖の裏には搾取が、搾取の裏には生殖が必ず存在している。

同様に、生殖に反対するアンチナタリズムの裏側には、搾取への反対であるビーガニズムが必ず存在している。

その倫理的コインに印字されているフレーズはこうだろう:

"Not Your Life, Not Your Choice"

単純な原理である。



Footnotes 1:

1. Benatar, D. (2008). Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence. Oxford University Press.
2. https://youtu.be/1nXh2wkAq-4
3. http://thevegancalculator.com/animal-slaughter/
4. Benatar, D. and Wasserman, D. (2015). Debating Procreation Is It Wrong to Reproduce?. Oxford University Press.
5. Harrison, G. and Tanner, J.  (2011). BETTER NOT TO HAVE CHILDREN. Think, 10, pp 113-121.
6. https://youtu.be/KOSXkTy4jUU
7. http://letthemeatmeat.com/post/19882645501/les-u-knight-on-the-voluntary-human-extinction
8. https://youtu.be/S9lU4wpyFVo


Footnotes 2:

1. フランシオンは強いアンチナタリズムを主張しているわけではないが、明らかに弱いアンチナタリストではある。のんきに三人も子供を作っているピーター・シンガーとは大きな違いである。
https://www.facebook.com/abolitionistapproach/posts/659068400779584
2. https://www.vegansociety.com/go-vegan/definition-veganism
3. http://www.abolitionistapproach.com/about/the-six-principles-of-the-abolitionist-approach-to-animal-rights/
4. より広いアニマルライツの観点からすれば、第一の基本的権利としての「生まれない権利」の保護として、それらを義務付けるための議論を構築することも出来るかもしれないが、生まれない権利の議論はまだ未成熟なものであり、今のところまだ、積極的に議論に用いられるような基盤はない。

Footnotes 3:

1. ではアンチナタリストもビーガンも中絶に反対しなければならないかといえばもちろんそうではない。特に妊娠初期であれば、胎児は道徳的な意味で「彼ら」ではないため、胎児の存在は彼らの身体でも命でもない。ならばなぜ、潜在的な存在者の苦痛については配慮すべきなのかということや、中絶に関するアンチナタリストの立場などを含め、関連する議論については『アンチナタリズムFAQ - よくある質問と返答』およびその中のリンクを参照。


~K-Singleton

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