「生まれてよかった」は生殖を正当化しない ―シフリンの原理と承認による反論― この記事では、Seana Shiffrinの論文『Wrongful Life, Procreative Responsibility, and the Significance of Harm』[1]および、Asheel Singhによる論文『Furthering the Case for Anti-natalism:Seana Shiffrin and the Limits of Permissible Harm』[2]の要約を中心とし、アンチナタリズムの議論の一つとなるShiffrinの非対称性について考察する。 注意事項: 元文献からの引用はインデントを変えず、文字の色を[1]については ポンパドゥール 、[2]については 青色 にして区別する。文字色が区別されない形式で閲覧している場合や、その他なんらかの理由で色の識別が困難な方は注意してほしい Shiffrinが、現在シフリンの非対称性と呼ばれている生殖の道徳的問題を指摘する原理を提唱したのは、いわゆる「Wrongful life訴訟」に関連して書かれた論文『Wrongful Life, Procreative Responsibility, and the Significance of Harm』(1999)内であった。 Wrongful life訴訟とは、主に深刻な障害を持って生まれたものが、例えば親がそれを回避する手立て(中絶)をしなかったとか、あるいは医師がそのための十分な情報を親に提供しなかったなどとして起こす訴訟のことである。 しかしShiffrinは論文で、深刻な障害を持って生まれた場合や、親が無責任に子供を生み出した場合に限らず、生殖という行為そのものが道徳的に問題のある行為だと論じている。 Shiffrinの議論 まずShiffrinは、生まれた人の負荷についての責任を評価するのは、危機にある人を救おうとする人に、救出の際にもたらした害の責任を負わせるようなものであるというJoel Feinbergによる主張の問題を指摘する。彼の主張は、救助されることの利益を考えれば、その救助に伴う害の責任を負う必要はないのと同じように、生まれたことによる利益がその害を十分上回る...
『ホロコーストは終わっていない』ゲイリー・ヨーロフスキーとユヴァル・ノア・ハラリの対談 “Agnus Dei” by Francisco de Zurbarán. Oil on canvas, 1635-1640. ■はじめに この記事では、2013年にイスラエルの新聞「Haaretz」のウェブサイトに掲載された、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによるアニマルライツ・アクティビストのゲイリー・ヨーロフスキーのインタビュー記事『 Gary Yourofsky to Haaretz: 'Animal Holocaust' Isn’t Over 』の全訳を載せる。 関連:世界で一番重要なスピーチ(ゲイリー・ヨーロフスキー) ■記事の全訳 アニマルライツ運動の第一人者として世界的に有名なゲイリー・ヨーロフスキー氏が、12月に再びイスラエルを訪問する。ビーガンやアニマルライツ団体の間でも、彼の妥協を許さない戦闘的な姿勢、批判的なスタイル、そして暴力は革命に不可欠な要素だという主張は物議を醸している。個人的には、彼の主張や提案には同意できないことも多いが、21世紀はじめの倫理的・政治的なシーンにおいて、彼は重要な人物であると私は信じている。ヨーロフスキーは、人々をコンフォートゾーンから引きずり出す。肉食者や毛皮好きだけでなく、多くのビーガンでさえも、彼の歯に衣着せぬ講話に、居心地の悪さを感じる。 動物たちの苦しみに無関心でいることは簡単である。彼らには新聞記事を書いたり、ラジオで話したりすることができず、彼らの叫び声は我々の耳から遠く離れてた場所に隔離されている―あるいは、周到に弱められ、穏やかなものに調整されている。ヨーロフスキーは、動物たちのマウスピースとなり、彼らの悲鳴を修正されないまま人々に聞かせることを目的としている。彼の話に耳を傾ければ、無関心でいるのはとても困難なことになる。彼に異論を唱えるのは当然だが(時には彼に異論を唱えるのが最良であることもあるかもしれない)、ヨーロフスキーは我々に、畜産場の動物たちの運命を真剣に考えさせ、人間による何十億もの牛、羊、豚、鶏たちの扱いが、歴史的な大罪であるという可能性を考えさせる。そのため私は、ゲイリー・ヨーロフスキー氏と議論する機会を得られたことを嬉しく思っている。私は、議論に時間...