ビーガンFAQ:動物愛護とは違うの? ビーガニズムと反 #サピエンス愛護

ビーガンFAQ:動物愛護とは違うの?

By Kei Singleton
Last updated: 16 May. 2021

われわれの多くは極悪犯人に対してですら死刑の執行を尻込みするが、一方、大して害獣でもない動物を裁判にもかけず嬉々として撃ち殺す。それどころか、われわれは多くの無害な動物をレクリエーションや遊びのために殺している。アメーバほどにも人間的感情を持たない人間の胎児は、大人のチンパンジーの場合をはるかに超えた敬意と法的保護を受けている。―Richard Dawkins(1989)
ホモ・サピエンスも一つの科に属している。このごく当然の事実はかつて、歴史上最も厳重に守られていた部類の秘密だった。ホモ・サピエンスは長年、自らを動物とは無縁の存在とみなしたがっていた…だが、それは断じて間違っている。好むと好まざるとにかかわらず、私たちもヒト科と呼ばれる、大きな、ひどくやかましい科に所属しているのだ。―Yuval Noah Harari(2014)

■はじめに

このページでは、『ビーガンFAQ - よくある質問と返答集』における、以下の問いに対する回答を提示する。

5.動物愛護とは違うの?

■動物愛護とは違うの?


▶動物愛護の定義にはばらつきがあるだろうが、一般的に用いられている意味としては、「個人的な好みや利益を理由に、特定の動物だけを保護する考え」と表現できるだろう。

この定義に従うのなら、特定の毛のない猿だけを過保護にするサピエンス愛護はその典型的な例といえる。

実際、あなたからすれば、他のヒトも一匹の動物に過ぎないが、その動物を「そうすべきと教えられてきたから」とか、「同じ種類の猿であるから(自分に近い存在だから)」とか、「そうすることが自分の利益になる(損害を回避できる)から」という理由で過保護にすることは、例えば自分と情緒的に近しく、そうすることで自身の精神的満足が得られるなどの理由で犬だけを愛護することと本質的に違いはない。

また、「同じ種であるから」というのは、「同じ人種であるから」、「同じ性別だから」という理由で他者の利害に特別な配慮をする(あるいはしない)人種差別や性差別と同種のものであり、種差別(speciesism)と呼ばれる。

それに対して、例えば「でも他のホモ・サピエンスとはコミュニケーションが取れるから」という理由で種差別を正当化しようとするなら、コミュニケーションの取れない幼児や障害者などを配慮の外に置くことになるし、それらよりも疎通のできる一部のヒトでない動物たちはそれらよりも高い道徳的地位を与えるべきと認めることになる。その他、種差別を正当化しようとする主張への反論は『でもライオンも…』や『ビーガニズムは宗教?』への回答を参照。

こうした種差別的、愛護的精神に反対し、その相手が毛のない猿であろうとなかろうと、自身の好悪や利害に左右されず、あらゆる苦しみを経験しうる存在の搾取に反対し、不本意な苦しみを与えぬよう努めるのがビーガニズムである。

すなわち、動物愛護に反対しながら、特定の猿だけを過保護にすることは、あからさまに矛盾した態度であるといえる。そして、そうした個人的な感情に基づく差別的な態度に反対であるなら、最も適切な選択はビーガンになることだ。


■参考文献

  • Dawkins, R. (1989). The selfish gene. Oxford: Oxford University Press.
     ―― (1991). 利己的な遺伝子. 日高敏隆 他 訳, 紀伊國屋書.
  • Harari, Y. N. (2014). Sapiens: A brief history of humankind. Random House.
    ―― (2016). サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福. 柴田裕之 訳. 河出書房新社.

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