ビーガンFAQ:ビーガニズムは宗教?― #ビーガニズム と無神論

ビーガンFAQ:ビーガニズムは宗教?― #ビーガニズムと無神論

By Kei Singleton
Last update: 31 March. 2021.

アニマルライツと無神論の繋がりは、対話に進化論を持ち込み、人類の性質に関する超自然的宗教信仰をすべて取り去ってみれば、直ちに明白になることだ。
―Michael Shermer(Socha(2014)のレビューより)
ひとたび、我々が本当にダーウィン的な見方を受け入れ、我々は何らかの形で特別に創造された種で、他の動物たちを支配する権利を神に与えられたものではないと受け入れるなら、我々は実際に、動物から作られ、彼らの経験する苦しみを具現化した商品のすべてを購入することをやめないといけないのである。
ホモ・サピエンスは、「天国」のような空想の概念を信じられる唯一の種である。ヒトは他の動物より本来的に高い地位にあるという人間中心的な見方も、天国を信じることと本質的に違いはない。それはフィクションなのだ。
動物を食べることが生存に不可欠でない場合、それは選択であり、選択はまた決まって信念に根差すものである。 したがって今日の世界における人々の大半は、必要であるから動物を食べるのではなく、それを選択するがゆえに動物を食べるのだ。 しかし、彼らを条件づけるその信仰体系が不可視であるがゆえに、彼らはそれを選択しているということも、そもそも選択肢があるということにも気が付いていないのである。

■はじめに

このページでは、『ビーガンFAQ - よくある質問と返答集』における、以下の問いに対する回答を提示する。

13.ビーガニズムは宗教じゃないの?

ビーガニズムは宗教じゃないの?


▶残念ながらビーガンの中にも(ノンビーガンと同様に)、スピリチュアリズムなどの神秘主義に傾倒しているものはいる。しかし、ビーガニズム自体は客観的事実を無視したり、超自然的思想を抱くこととは全く無関係である。むしろ、ホモ・サピエンスという動物は特別な道徳的価値を内在しているとか、肉を食べないとタンパク質を摂れないとか(Q.3)、植物にも主観的感覚があるとか(Q.1)、事実に反する信念を基に動物の搾取を続けることの方が、信仰と呼ばれるにふさわしい。

まして、「感謝すれば許される」とか、「供養」によって罪が贖われるといった考えは、「祈り」などと同種の典型的な宗教的発想に他ならない。

【祈り】

  1. それを行う本人は気持ちよいが、思われている相手には何の影響も及ぼさない行為。類語:マスターベーション
  2. 取るに足らない一人の請願者のために、万物の法則を捻じ曲げるよう求めること(Bierce 1996)。

欧米ではむしろ、新無神論と呼ばれる現代の無神論の流れを牽引するRichard Dawkins、Sam Harris、Michael Shermerらなどが、ヒト中心主義的道徳観は、理性的に正当化不能であるとして、ビーガニズムの道徳的優位性を認めている。

こうした流れの根底には、以下のような気付きがある:

●盲目的な自然淘汰のプロセスの産物である動物のうち、ホモ・サピエンスという猿の一種のみを神聖視することは合理性を欠いた信仰に基づくものである。

このこと―すなわち種差別―について、反宗教活動家としても名高い生物学者Richard Dawkinsは、彼の初作『The selfish gene(利己的な遺伝子)』以来、一貫して批判を続けている。新無神論の記念碑的著作である『The God delusion(神は妄想である)』においても、次のように述べられている:

(ヒトがヒトであるというだけで特別な権利が与えられるという)絶対主義的な道徳的差別は、進化という事実によって根本的に根拠を突き崩される。
系統樹

Dawkinsが主に批判しているのは、種差別主義者の生命に対する見方にあるダブルスタンダードである。このことは中絶の是非を巡る議論において明確になる。

一般に世俗主義者は、宗教的な原理主義者とは対照的に、神経系の未発達な初期胎児の中絶を道徳的に(少なくとも違法化するほどの深刻さを持つ)問題のある行為とはみなしてはいない。同時に、中絶で問題になるのは、その胚がヒトであるかどうかではなく、痛みを感じるほど十分に神経系が発達しているかどうかであると考えている。しかしこれが、他の動物の問題の苦しみを巡る議論となった途端、彼らの苦痛はすべて無視され、それがヒトであるかどうかだけが問題にされてしまう。

Dawkins(1993)は、このような深刻なダブルスタンダードを生む精神を、理性的な思考が不足していることの表れであると考え、断絶した精神(discontinuous mind)と呼んでいる。

Dawkinsは、他にも、 チンパンジーとヒトと中間型の生物が現存していた場合、あるいは残念ながらすでに実験室で作成が進められているヒトと他の動物のハイブリッドのような存在について考慮すれば、ヒトという種の境界を道徳的輪の境界とすることがますます困難になると議論している。 これについては、Peter Singerとの対談を参照。ちなみに、これと同様の議論は、天文学者でSF作家であったアニマルライツ支持者のCarl Saganも行っていた

冒頭で無神論とアニマルライツの関係についての発言を引用している科学史家でScientific AmericanコラムニストのMichael Shermerは、世界最大の懐疑主義団体Skeptics Societyの創設者でもあるが、科学と理性主義こそが文明の発展を駆動してきたものであると主張する自身の著書『The Moral Arc』の執筆に際し、工業畜産の実態を調べ、こう感想を述べている:

うぅ。昨夜、道徳的発展について研究するために『Earthlings』を観た。動物に関しては、道徳的に後退しているようだ。

彼はまた、別のドキュメンタリ『Speciesism』を鑑賞し、こう認めている

Mark Devriesの映画『Speciesism: The Movie』を観るために映画館に入った時、私は種差別主義者であった。しかし映画館を出たとき、私にはいかなる理性的議論をもってしても、我々の動物に対する扱いを正当化することは出来なかった。そのような議論は、この目覚ましく有無を言わせない映画によって粉砕されてしまったからだ。種差別を巡る知的議論争にはもう決着がついている。

他にも、声高な無神論者である物理学者Lawrence Kraussは倫理学者Peter Singerの影響もありベジタリアンであるし(2人の対談)、創造論に対抗する啓蒙書(進化論解説書)(Coyne 2010)も執筆している生物学者Jerry Coyneも、アニマルライツ運動を見下した態度を批判し、こう述べている

我々が本当に苦しみについて配慮するなら、我々の懸念をホモ・サピエンスの苦しみのみに限定することを正当化する術はないという事実に向き合う必要がある。

●動物の搾取は現実を無視し、空想を信じることによって成り立っている。

知覚を持ち苦しみを感じる能力を持つ動物への配慮と、彼らを苦しめて搾取している事実の間に生じる葛藤は、認知的不協和の典型的な例であり、心理学研究の対象にもなってきた。この葛藤は肉のパラドクスとも呼ばれる(Loughnan et al. 2014)。

心理学者Melanie Joy(2011)は、彼女がカーニズム(carnism; 肉食主義)と呼ぶ一種の信仰体系によって、人々はこの矛盾に対処し、認知的不協和を解消していると分析する。

実験的にも確かめられているように、カーニズムの中心となるのは、肉食は、それが普通(normal)であり、自然(natural)であり、また必要(necessary)であるという信仰にすがることと、自分の選択や行為によって他者に苦痛をもたらしているという事実を認識から切り離し、精神を麻痺させることである(Piazza et al. 2015)。

実際、動物を消費している人々は、自分が消費しているものが知覚ある動物であるということを改めて意識させられると、その動物の認知能力を過少に見積もるなど、現実を否定する傾向が確認されている(Loughnan et al. 2010)。

心理学者Melanie JoyによるTEDトーク:『真の食選択に向けて』。 肉食という選択がいかなる信仰なのか(日本語字幕が選択可能)。

さて、あなたは単にそう社会に刷り込まれてきたからというだけの理由で、ホモ・サピエンスという猿の一種のみが神聖な地位にあると信じていないだろうか?自分がホモ・サピエンスの幼児と同等かそれ以上の知性を持ち、自分と同じ苦しみを感じる何百億もの動物たちの苦しみに寄与しているという「現実」に目を向けることで生じる認知的不協和を解消するために、そうした「現実」を突きつける人たちを悪人に仕立て上げようとしていないだろうか?味覚の欲求を我慢できないからというだけの理由で、暴力を正当化する理由を、どんな程度の低いものでもよいからと探していないだろうか?特に、そうしたところで多数派の一員であることを危うくしないということを理由に、それ以上の思考を放棄していないだろうか?もしそうであれば、それは理性的で主体的な人間の取る態度ではない。


***

あなたに不合理なことを信じさせられる人間は、あなたに残虐な行いをさせることも出来る。
―Voltaire
信仰とは、真実を知りたくないという意味である。
―Friedrich Nietzsche
宗教とは、何が正しいかに関わらず、ただ教えられたことをすること。 道徳とは、何を教えられたかに関わらず、何が正しかを考えを行うこと。
―不明

■参考文献

  • Bierce, A. (1996). The devil's dictionary. Wordsworth Editions.
  • Coyne, J. A. (2010). Why evolution is true. Oxford University Press.
    ――ジェリー・コイン. (2010), 進化のなぜを解明する. 塩原通緒 訳. 日経BP.
  • Dawkins, R. (1989). The selfish gene. Oxford: Oxford University Press.
    ――リチャード・ドーキンス. (1991). 利己的な遺伝子. 日高敏隆 他 訳, 紀伊國屋書.
  • Dawkins, R. (1993). Gaps in the mind. In Singer, P. and Cavalieri, P., editors, The Great Ape Project, pages 80–87. St. Martin’s Griffin.
  • Dawkins, R. (2006). The God delusion. Boston: Houghton Mifflin Co..
    ――リチャード・ドーキンス. (2007). 神は妄想である. 宗教との決別, 垂水雄二訳, 早川書房.
  • Joy, M. (2011). Why we love dogs, eat pigs, and wear cows: An introduction to carnism : the belief system that enables us to eat some animals and not others. Berkeley, Calif.: Conari.
  • Loughnan, S., Haslam, N., & Bastian, B. (2010). The role of meat consumption in the denial of moral status and mind to meat animals. Appetite, 55(1), 156-159.
  • Loughnan, S., Bastian, B., & Haslam, N. (2014). The psychology of eating animals. Current Directions in Psychological Science, 23(2), 104-108. 
  • Piazza, J., Ruby, M. B., Loughnan, S., Luong, M., Kulik, J., Watkins, H. M., & Seigerman, M. (2015). Rationalizing meat consumption. The 4Ns. Appetite, 91, 114-128.
  • Socha, K. (2014). Animal liberation and atheism: Dismantling the procrustean bed. Freethought House.

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