ビーガンFAQ:#プランツゾウ

ビーガンFAQ:#プランツゾウ

By Kei Singleton
Last updated: 1 Apr. 2021

価値の源泉として、(実際にであれ潜在的にであれ)意識的存在の経験と全くもって無関係なものを思い浮かべることが出来るか試してみてもらいたい。これがもたらす帰結を少し考えて見てほしい。この代替がどんなものであれ、それはいかなる生物の経験にも影響を与えることは出来ない。これを箱詰めして見れば、その中身は――定義からして――宇宙で最も関心を惹かないものとなるだろう(p.32)。

すべての価値(正しさと誤り、善と悪など)についての問いは、それらの価値の経験可能性に依存する。幸福、苦痛、喜び、失望などの経験のレベルでの内在的な帰結を無視して、価値について語るのは無意味である(p.62)。―Sam Harris (2011)

■はじめに

このページでは、『ビーガンFAQ - よくある質問と返答集』における、以下の問いに対する回答を提示する。

1.でも植物も..
┗動物が本当に苦しむかわからないのでは?
┗わからないだけで植物にも知覚があるかもしれないのでは?
┗植物にも意識があるという記事(の見出しだけ)を読んだけど?
┗意識の定義によるのでは?
┗苦痛が問題なら、苦痛なく殺せばよいということになるのでは?

■でも植物も...


▶「でも植物は/も...」からはじまるのは、Plants tho(プランツゾウ)と呼ばれるビーガニズムに対する最も一般的な議論の1つである。「でも植物にも命が...」という議論であれば、そもそもビーガニズムは搾取される対象の感覚や感情を尊重する思想であり、命を主題としたものではないため、この時点で論理学の教科書(加藤 and 土屋 2014)で取り上げられるほどの典型的な論理的誤謬(藁人形論法)である。

また、「命はすべて平等であるから等しく扱うべき」、あるいは、命の平等さのみを考慮し「扱われる対象者の感覚や感情の応答を考慮する必要がない」、というのであれば、当然ホモ・サピエンスの命も平等であるため、ホモ・サピエンスの搾取も正当化されることになる。そこで感覚や感情を理由にホモ・サピエンスのみを議論から除外することは、自身の主張の前提から許されない。

「命はすべて平等であるから~」と主張しながら、ホモ・サピエンスと例えば細菌の道徳的価値が同等であると認めず、ホモ・サピエンスの搾取を容認しないというのであれば、必要な道徳的配慮の基準を決める、「命」以外の「何らかの」要因が存在すること、すなわち自身の問いが不適当なものであることを、自ら認めることになる。

そしてまた、他のホモ・サピエンスの個体も、自分と同種の猿であるから、というだけの理由(サピエンス愛護の精神)では問題を回避することはできない。 詳しくは『でもライオンも...』、『ヒト以外の動物は道徳的に配慮する必要はないのでは?/種が違うのだから当然では?』および『ビーガニズムは宗教?』への回答内の種差別に関する記述を参照。


┗動物が本当に苦しむかわからないのでは?

▶これは、知覚や感情の進化的な機能を考慮すれば明らかなことだ。知覚や感情は、気まぐれな神が飾りつけとしてホモ・サピエンスにのみ備え付けたおまけではなく、危害を避け、危険を学習し、仲間を配慮するなどの行動が自然淘汰を通して有利に働くために、動物の中で形成され、洗練されてきた機能である。

自身の身体を拘束したり破壊したりする外力に対して肯定的な反応をするよう神経が配線されている動物と、それらを苦痛に感じ、回避するよう行動する動物がいたとした、どちらの個体の遺伝子が自然淘汰に選り好みされるかは明らかだろう。

ホモ・サピエンスもその進化の歴史を通じて誕生した一種の猿に過ぎず、基本的な知覚および情動機能がホモ・サピエンスに固有であるという進化的な系統樹を断絶したような見方が恥ではないのは、せいぜいDarwin以前の時代までである。

例えば、著名な認知神経科学者、神経薬理学者、神経生理学者、神経解剖学者および計算論的神経科学者による国際的グループによって出された『意識に関するケンブリッジ宣言』(Low et al. 2012)では、こう断言されている:

我々は次のように宣言する:「新皮質の欠如は、生物が情動状態を経験することを不可能にするようには考えられない。 収束する証拠は、ヒトでない動物が、意図的行動を示す能力とともに、意識状態の神経解剖学的、神経化学的、および神経生理学的基質を有することを示す。 従って、証拠の重さは、意識を生成する神経基質を持つことにおいてヒトは固有ではないことを示している。 すべての哺乳動物や鳥類および、タコなどの他の多くの動物を含めたヒトでない動物たちも、これらの神経基質を持っている。

動物の意識に関する科学的合意については、以下でより詳しく議論する(例えばFeinberg and Mallatt (2013, 2016) や、生物学者Richard Dawkins(リチャード・ドーキンス)の議論Yuval Noah Harari(ユヴァル・ノア・ハラリ)の議論も参照)。

▶万が一、相手の情動が不確かであっても、「よって苦痛を経験する可能性のあることを行ってもいい」とはならない。相手がヒトである場合、必ずしも行う必要があるわけではないうえ、相手が苦しむかどうかわからないがその可能性が十分考えられる場合「慎重を期してすべきではない(err on the side of caution)」という選択をするはずであり、不確かさを向こう見ずな行動の正当化の理由に使うことはないだろう。まして彼ら自身に何の利益もない行為であるなら、なおさらである。

改めて、神経科学、動物行動学などの知見から得られたヒトでない動物たちの意識的知覚の存在の裏付けに加え、進化的な観点から見た場合の考察により、彼らが苦しむと考える理由は科学的に十分であるため、例えあなたが共感の能力を一切欠いていても、彼らに苦しむ可能性のある行いをしないよう選択する十分な理由が存在する。


***
少なくとも、ヒトでない動物たちが我々よりも痛みを感じにくいと考える一般的な理由は存在しない。そして、いかなる場合も疑わしきは彼らの利害にとって有利になる見方をすべきである。牛に焼印することや麻酔をせず去勢すること、そして闘牛などは、同じことをヒトにするのと道徳的に同等のものとして扱われるべきである。―Richard Dawkins(2017)

┗わからないだけで植物にも知覚があるかもしれないのでは?

┗植物にも意識があるという記事(の見出しだけ)を読んだけど?

▶植物に外的な刺激に対する反応は認められても、動物に似た意識的感覚を持つと考えられる科学的根拠は一切存在していない。いかなる根拠も伴わない「かもしれない」だけでは、理性的な議論において意味を持ちえないし、すでに明確で、科学的に合意の得られている動物の感覚について考慮する必要性がないという主張の根拠にもなりえない。

植物にも意識があるという主張に対する専門的反論はMallat et al.(2021)で網羅的に扱われているが(論文の日本語での要約はコチラ)、ノンビーガンの抱く植物の意識に対する信念は、単なるリテラシーの欠如によるものであり、専門的な議論を持ち出すまでもないことが大半であるため、以下でそのことを具体的に説明する。

意識の進化的利点は、ダイナミックな情報を瞬時に処理する機能にあると議論されている(Feinberg and Mallatt 2013, 2016)。そして、植物のような固着生物にとって、瞬時でダイナミックな処理を担う意識機能がもたらす利益はエネルギーコストに見合わないため、彼らが何らかの形で動物と同様の意識機能を発達させたと考える理由はない。

このことを示唆する興味深い一例が、ホヤの生態である。ホヤは数日に渡る幼生期にはオタマジャクシのような形態をとり、尾部を振って泳ぎ回る。彼らはこの時期には、脊索動物の定義付けとなる脊索と神経を持っている。しかし、残りの生涯を過ごす岩場などを見つけるとそこに固着し、不用となった脳を摂餌と体内機能を担う部分だけを残して消化してしまう(Sadava et al. 2014, Feinberg and Mallatt 2016)。


成体のホヤ

また、捕食者から身を守るために、俊敏な意識的情報処理と、それを指針とする移動性ではなく、固い殻やトゲを身に着ける方向に進化したニマイガイやウニなどには、意識の生成に必要とされる神経基盤が備わっていない(Cascio, 2017)(よって、オイスターは食べるというビーガンもいる。例えば台湾のIT担当大臣唐鳳(オードリー・タン)がそうだ)。

2019年7月3日、ジャーナルTrends in Plant Scienceに掲載された論文『Plants Neither Possess not Require Consciousness(植物は意識を持つことも、それを必要とすることも決してない)』(Taiz et al. 2019)において、植物学者Lincoln Taiz(リンカーン・テイツ)はじめとする8人の生物学者たちは次のように述べている:

固着性の光合成独立栄養生物である植物は、細胞の増殖と成長のために、エネルギーのかかるタンパク質合成ではなく、液胞への水の取り込みに依存しており、エネルギー効率の模範になるべく適応している。植物は生物学的な太陽集熱器として、太陽光を奪い合い、空間を覆うよう進化した。彼らはこれを不定成長によって成し遂げている。彼らは獲物を追いかけたり、捕食者から逃れるようには進化しなかった。被子植物においては、昆虫や他の動物との共進化によって、異花受粉に必要な運動性と意図性を活用することで、これらの形質を進化させる必要性が取り除かれた。植物が生き残るため、あるいは生殖するために、意識、感情、および意図などのエネルギーのかかる精神的な能力を必要とし、したがってまた進化させたという証拠は一切ないのである。

痛みについては例えばこう述べている:

国際疼痛学会(The International Association for the Study of Pain)は、痛みを「実際に何らかの組織損傷が起こった時、あるいは組織損傷が起こりそうな時、あるいはそのような損傷の際に表現されるような、不快な感覚体験および情動体験」と定義している(IASP terminology. https://www.iasp-pain.org/
terminology?navItemNumber=576#Pain)。この定義は、末梢侵害(痛覚)受容体の刺激に対する自発性を欠いた反応をはるかに超えた、複雑な経験としての痛みの主観的な特質を強調している。痛みは刺激に応じて、突き刺すような、身に刺さるような、燃えるような、ズキズキするような…などの異なる質と時間的な特質を持ちうる。実際、上方伝達される侵害受容信号は、哺乳類では体性感覚島皮質前頭新皮質扁桃体視床下部脳幹を含む脳内の異なるに渡る大きなネットワークを活性化する。これらの領域は、さまざまな感覚、感情、認知、運動、および発達の部位に対応し、これらが一緒になって痛みの複雑な心理生理学的経験を形成する。

そのため、損害を与える状況への適応的な応答に「痛み」という用語を用いることは正しくなく、誤解を招くものである。適応的応答は、痛みの複雑な精神生理学的経験とは何の共通点もない生物体の基本的な特性である(太字は原文まま)。

他にも、植物学者のDaniel Chamovitz(ダニエル・チャモヴィッツ)の研究が植物の意識を支持するものとしてたびたび持ち出されるだが、Chamovitz自身こう述べている

植物は認識をしません。私たちが葉っぱを切り落とす時、私たちは植物が苦しんでいるだろうと思ってしまいます。しかし、それは、私たち自身が事態を擬人化しているのです。

あなたは、明確に植物を殺すことができます。しかし、植物はそのことを気にしません(Pearl 2015, 訳はDavitRice氏のブログ記事より引用)。

もう1つ、ノンビーガンあるいはアンチビーガンがしばしば内容を読まずに言及する埼玉大学の研究者の研究に関する記事を引用すると

言葉の使い方は飛躍してしまうかもしれませんが、グルタミン酸が植物における「神経伝達物質」のような役割をしていることがわかりました。

植物が本当に「痛み」を感じているかはわかりません。ただ、少なくとも自分が傷つけられた時に、どういう仕組みでそれを感じているかは明らかになったんです

論理的には飛躍しているかもしれませんが、「痛い」といったキャッチーな言葉を使って説明しました。

と研究者自身が述べている通りである。すなわちこの研究は植物が外的侵害の情報を内外に伝達するという以前からわかっていた現象に関するメカニズムの詳細の一部を明かしただけであり、植物に動物の脳に対応するその情報を処理する中央処理システムが存在することを示したわけでも、それを用いることなく意識的知覚を経験する「誰か」(統合された経験の主体者)を生み出す手段があることを示したわけでも決してない。その他、『植物は「叫ぶ」』、『植物は食べられることを「知っている」』などの擬人化した見出しをつけたエンタメ記事も、内容に目を通してみれば同様の類いであることがわかる。

改めて、Mallat et al.(2021)では、単一の細胞レベルから植物の集団的振る舞いまで、「植物の意識の現れ」として議論される種々の非意識的反応を個別に取り扱い、どれも意識とは全く別物であることをより詳細に説明している(論文の日本語での要約はコチラ)。

痛みと侵害は全く次元の異なるもので、痛みは一種の情動体験であるということは先に引用した通りだが、感情に関する最新の研究も参照してみよう。 例えば「悲しみ」という感情に焦点を当てた2020年発表の470余りの先行研究に基づく包括的なレビュー論文(Arias et al. 2020)によれば、この分野においては、悲しみを含めた基本的感情の構成要素に関する1つ理論的合意が形成されつつあるとしている。 その合意とは、感情は2つのモデルによって相補的に説明されるというものである。 1つのモデルは、感情とは強力な進化的基底を持つものであり、脊椎動物に広く共有されている新皮質下の古い脳領域に基盤を持つというもので、もう一方は、感情とは社会的構築物としての側面が強いという見方であり、前者のモデルより高次の脳機能を必要とするというものである。 このように、最新の科学研究を参照しても、利害関心を有するのに必要なベースラインとしてある程度の複雑さを持つ神経系が要求されるものであるということは明確である。

ちなみに、これらのモデルによって相補的に説明されるということは、社会的状況に依存する複雑な情動経験は、ホモ・サピエンスなど特定の動物種に限定されるかもしれないが、基本的な情動は、少なくとも哺乳類すべてを含む脊椎動物によって広く共有されている可能性が高いということであり、いずれの場合も商業的に搾取されている動物たちの苦しみを否定するよりもむしろさらなる裏付けを与えるものである。 例えばブタは霊長類と同等の認知機能を持っていることが示されているし(Marino & Colvin 2015)、他の多くの動物たちも、かつて考えられていたよりもはるかに豊かな情動経験をするという証拠が近年益々蓄積している(de Waal 2019)。

▶仮に植物にも配慮が必要であるとするなら、そのままの通り、植物にも配慮が必要であるとなるだけであり、動物に配慮が必要ないとはならない。そして、植物に配慮するのであれば、植物の消費も圧倒的に少なく済ませられるビーガニズムの方が依然として優れた選択だということになる(Poore and Nemecek 2018)。


▶FYI:ある研究(Lindeman and Svedholm-Häkkinen 2016)によると、一部の人は石や植物などの非意識的対象を擬人化せずに理解する能力が乏しく、「石は冷たさを感じる」などの文章に同意しやすいという(研究に関する記事はコチラ)。また、その傾向がより包括的な超自然的信仰につながりうるそうだ。

ナイーブな直感を過信したり、神秘主義思想や根拠のない言説に基づく信念に従ったりすることで、植物に意識があると本気で信じているのなら、こうした点に注意したほうがいいかもしれない。


┗意識の定義によるのでは?

好きな用語に好きな定義を与えることはできるが、必ずしもそれによって何か有意味な議論が生まれるわけではない。 意識を植物や細菌のなんらかの生理的性質までもを含むように定義することもできるが、それによって植物の生理活動と、主観性を生み出す動物の脳に特有の神経活動との間にある質的差が失せるわけでは決してなく、無意味な言葉遊びにしかならない。 実際、神経科学や心理学において、意識(consciousness)の定義には「awareness(気づき)」や「subjectivity(主観性)」が必ず含まれるが、植物にこうした質を生み出す基底は全く持って存在しないということは、上の回答で議論している通りである。 一応意識のいくつかの定義を紹介すると、『Dictionary of psychology and allied sciences』(Bhatia, 2009)では

The awareness of one's own mental processes, or the state of having this awareness.

『The Cambridge dictionary of psychology』(Matsumoto, 2009)では

The phenomenon of personal, subjective experience. The experience is sensory, remembered, or imagined in nature and interacts with environment and physiological states so as to produce changes in the state or aspects of subjective experience.

といった具合である(太字による強調はブログの著者によるもの)。


***

"異なる意見を持つことはできるが、科学的事実を知らないのであれば、その意見は大して相手にされるべきものとはならない。

もし牛が痛みを経験することができると思うなら、レタスはどうなのだ?という人もいる。…動物の福祉に関する議論でしばしば聞かれるこのような主張は、科学的な無知を反映している。"―Yuval Noah Harari(2017)


┗苦痛が問題なら、苦痛なく殺せばよいということになるのでは?

▶まず、論理の問題として、「知覚あるものを害してはいけない」ということは「知覚がなければ何をしても良い」を必ずしも含意しない。知覚を持つことは最低限の道徳的地位を持つ決定的な条件であるが、その条件を退けるのではなく、他の条件を考慮することで、知覚がなくともある種の存在への配慮の必然性を示すことができる(具体的な議論は以下に示す)。

そのため、「ビーガニズムを受け入れることは、植物人間などが守られなくなるということであるため、積極的に動物の搾取をつづけなければならない」という奇怪な主張は(数ある問題点のうち、この点だけを見ても)誤った主張であると言える。

▶これが畜産における屠殺についてのことなら、畜産は屠殺の瞬間以外に多くの苦痛を強いるものであるため、仮に屠殺が無痛だとしても、問題はほとんど解決されない。

次に、屠殺以外の全てのプロセスが理想化された場合の畜産や、その他殺し一般について考える。この場合の答えは具体的な状況にもよるし論者にもよるが、一つ明確に共通していることは、その質問の答えは現在の動物の搾取を正当化することにも、ビーガニズムの思想を揺るがすことにも繋がらない、ということだ。

もし「YES」と答えたらどうするのだろうか?「苦痛がなければ殺してよいなんて残酷で許容できない!」というだろうか?もしそうだとしたら、苦痛をもたらしたうえで殺していることは、少なくともそれと同等か、それ以上に残酷で許容不能であると認めていることになる

ここで、誰かの命を終焉させる際、あるいはその他の形で身体に損傷を与える際、苦痛を伴わせることとそうでないことが道徳的に等価であると考えるのなら、例えば妊娠初期の中絶と十分神経系が発達した後の中絶、安楽死と安楽でない形での自殺補助、(同意の得られない幼児などを対象とする)やむを得ない強制的な手術で麻酔を使う場合と使わない場合などの行為の質的な違いも存在しないということになる。この種の主張は妊娠初期の中絶も成体のヒトを殺すことと同等であるという原理主義的なpro-liferが行うような主張につながる。

あるいは、苦痛がなければ殺してよいとしてしまったら、ヒトも対象に含めた無痛の大規模殺戮が横行するのではないか、ということを懸念しているのかもしれない。(それが現在の動物の搾取の現状より悲惨だとは思わないが)それはありえないから心配する必要はない。

もしその対象がヒトや、少なくとも他の一部の哺乳類であれば、誰かの命を奪うことで遺されたものに大きな苦痛を及ぼす可能性があるため、いくら当個体が苦痛を感じなくとも、無害な殺しとはならない。それに、そのケースでは苦痛を生じさせなくとも、実際に苦痛を及ぼす形での殺しを促進しかねないし、特にヒト社会では、社会的な混乱ももたらすだろう。当然そこには不安や恐怖などのネガティブな主観的経験が含まれる。また、仮に畜産などで苦痛のない飼育と屠殺の方法が見出されたとしても、それを現在の規模で行うことには無理がある。

よって、結論としては、「苦痛の生じない殺し」というのは原理的には可能でも、現実的には実行不能であるため、考慮する必要はない。最も現実的な代替としては、動物の細胞を培養して作られる人工肉だろう。それは実際の動物の肉でありながら、理想的には苦痛も殺害も介さずに大量生産しうる(だが2020年現在では、培養肉もいくつかの深刻な倫理的問題を抱えている)。

仮に苦痛を生じさせないからと言って、それが許されるということにもならないという見解も当然存在する。その議論の一つの例は、以下の動画(5:15辺りから)



および関連する議論として以下の動画(19:00辺りから) リチャード・ドーキンスとピーター・シンガーの対談(日本語字幕) を参照



■参考文献

  • Arias, J. A. et al. (2020). The neuroscience of sadness: A multidisciplinary synthesis and collaborative review. Neuroscience & Biobehavioral Reviews, 111, 199-228.
  • Bhatia, M. S. (2009). Dictionary of psychology and allied sciences. New Age International.
  • Cascio, D. (2017). On the Consumption of Bivalves. Mediumhttps://medium.com/@TheAnimalist/on-the-consumption-of-bivalves-bdde8db6d4ba. accessed 5 Feb. 2020.
  • Dawkins, R. (2017). Science in the soul: selected writings of a passionate rationalist. Random House.――(2018). 魂に息づく科学:ドーキンスの反ポピュリズム宣言. 大田 直子 訳. 早川書房.
  • de Waal, F. (2019). Mama's last hug: Animal emotions and what they tell us about ourselves. WW Norton & Company.
  • Feinberg, T. E. and Mallatt, J. (2013). The evolutionary and genetic origins of consciousness in the cambrian period over 500 million years ago. Frontiers in psychology, 4(667).
  • Feinberg, T. E. and Mallatt, J. M. (2016). The ancient origins of consciousness: How the brain created experience. MIT Press.
  • Harari, Y. N. (2017). The role of scientists in the debate about animal welfare. https://youtu.be/h3aLioDNAYg. (日本語訳はコチラ
  • Harris, S. (2011). The moral landscape: How science can determine human values. Free Press.
  • 加藤 浩 and 土屋 俊. (2014). 記号論理学. 放送大学教育振興会. 
  • Lindeman, M. and Svedholm-Häkkinen, A. M. (2016). Does poor understanding of physical world predict religious and paranormal beliefs? Applied Cognitive Psychology, 5(30):736–742.
  • Low, P. et al. (2012). The Cambridge declaration on consciousness. In Francis Crick Memorial Conference (Vol. 7).
  • Mallat, J. et al. (2021). Debunking a myth: plant consciousness. Protoplasma, 1-18.
  • Matsumoto, D. E. (2009). The Cambridge dictionary of psychology. Cambridge University Press.
  • Marino, L., & Colvin, C. M. (2015). Thinking pigs: A comparative review of cognition, emotion, and personality in Sus domesticus. International Journal of Comparative Psychology.
  • National Research Council. (2009). Recognition and alleviation of pain in laboratory animals. National Academies Press.
  • Pearl, M. (2015). We Asked a Biologist if Plants Can Feel Pain. VICE. https://www.vice.com/en_us/article/xd74nd/we-asked-a-botanist-how-sure-science-is-that-plants-cant-feel-pain-302. accessed 26 Jan. 2020. (日本語記事はコチラ
  • Poore, J. and Nemecek, T. (2018). Reducing food’s environmental impacts through producers and consumers. Science, 360(6392):987–992.
  • Sadava, D. E., et al. (2014). Principles of Life. Sinauer Associates.
  • Taiz, L., et al. (2019). Plants neither possess nor require consciousness. Trends in plant science. 24(8).

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