苦しみに焦点を当てた倫理について

苦しみに焦点を当てた倫理(Suffering-Focused Ethics)について


何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?世間は常に燃え立っているのに。―ガウタマ・シッダールタ

by Kei Singleton
First published: 1 Mar. 2018; last major update: 11 Aug. 2018

1. SFEとは

ブッディズム、ネガティブ功利主義(NU)、エフィリズム、そしてその他一部の倫理的アンチナタリズムなど、これらはすべて、苦しみに焦点を当てた倫理(Suffering-Focused Ethics; SFE)というより大きなに分類に属しているとみなすことができる。これに属する立場を支持するものはみな、快と苦の間に価値論的非対称性があることを認めているものたちだ。 彼らは、より具体的な立場を支持している場合であっても、この名称を用いて自身の立場を表明し、プロモーションすることがある [1]。その一つの理由は、幅広い間口を用意することで、より多くの人が苦しみに焦点を当て、それに関する動きに同調しやすくなるということである。


2. NUとSFE

ネガティブ功利主義とSFEの違いは何なのか、苦しみ(負の功利の一形態)に焦点を当てている時点で、功利主義ではないのか、という疑問も聞かれる。しかし、そもそも、サム・ハリス(Sam Harris)が述べているように1、道徳とは知覚ある存在のウェルビーイングに還元される客観的事実を扱うものであり、それへの影響を無視して道徳を語ることは意味を成さない:

価値についての問い、すなわち意味や道徳や人生におけるより大きな目標についての問いは、実際には意識を持つ存在のウェルビーイングに関する問いである。したがって、価値は科学的に理解可能な事実へと翻訳される [2]。

改めて、この主張は帰結主義的であり、功利主義的であるという指摘もある。そして、功利主義をはじめ、帰結主義には大きな問題がある。ネガティブ功利主義者の間でも、義務論との統合などにより、個体の基本的な権利を保障する枠組みの構築なども模索されているが、やはりどの主要な倫理理論の例にもれず、ネガティブ功利主義にも深刻な問題が存在している2。しかし、サム・ハリスの主張は必ずしも功利主義(あるいは他の帰結主義の形態)を導くものではない。むしろ、最低限の帰結を考慮しない倫理理論などありえないのだ。彼はライアン・ボーン(Ryan Born)への返答の中でこう述べている:

...ライアンはまた、帰結主義、義務論、徳倫理の伝統的なカテゴリーは概念的に有効であり、維持する価値があることを当然のことと思っているようである。しかし私は、道徳哲学をこのようにを分割すること自体が問題であると考えている――これは私が自分自身を「帰結主義者」だと自称しないようにしている理由の一つでもある。 誰もが、帰結主義は我々が大切にするものを捉え損ねてしまうということを知っている――あるいは知っていると考えている。これは、ライアンが観察するように、「価値と道徳に関して真剣に競合する理論が存在する」ことからも、ほぼ定義からして真実と言える。

しかし、(カントの義務論や規則ベースの倫理への根本的な貢献の一つである)定言命法が、誰もを確実に悲惨な状態にしてしまうものだったとしたら、誰もそれを倫理的原則として擁護することはできないだろう。同様に、寛大さ、知恵、誠実さなどの美徳が他ならぬ痛みや混乱の原因になるのであれば、正気な人は誰もそれを良いものと考えることはできないだろう。私の見解では、義務論者も徳倫理論者も、彼らの倫理の良い帰結というものを、始めから対話に忍ばせているのだ。

...私はいかなる正気な人も、抽象的な原理や、正義や忠誠という徳を、それらが我々の生活に及ぼす影響とは独立に考えているとは思わない [3]。

アニマルライツについて権利論的なアプローチを展開しているゲイリー・フランシオン(Gary Francione)も、他者に道具として利用されない基本的な権利を持つのに十分な条件は知覚を持つことであるとしているし、デイヴィッド・ベネター(David Benatar)も同様に「道徳はウェルビーイングの促進に関するものでなければならない。私にはそれはほぼ自明なことと思われる」[4]と述べている。この見方に加え、苦しみの持つ圧倒的な切迫性3を考慮に入れれば、より詳細な部分に関する見解には議論の余地を残すとしても、基本的な姿勢としてSFEは自然と導かれるものなのである。


3. 戦略的理由からのSFEのプロモーション

ネガティブ功利主義者が、効率的に帰結を導くための戦略として、より大きな流れと同調するのは自然なことであるし、具体的な倫理的立場を問わず、苦しみを取り除くための合理的かつ効率的な戦略を追及しているFoundational Research Instituteも、その戦略の裏には帰結の効率を求める動機がうかがえる。しかし、このような戦略に利点が見出せるのは功利主義的観点から見た場合だけでない。

ブライアント・トマシック(Brian Tomasik)は具体的な倫理的立場よりも、もっと弱い前提のみを要求する方が好ましい場合があるということを説明するために、例として、動物擁護に関するデイヴィッド・ドゥグラツィア(David DeGrazia)の言葉を引用している [1]:

主要となる洞察は、一部の著者や活動家の考えとは対照的に、工業畜産や、それによる製品の日常的な購入が弁明の余地がないことであると知るために、動物たちが功利性を乗り越える意味で権利を持つのか、あるいは平等性の意味で権利を持つのかということすら、我々は知る必要はないということだ。これは、工業畜産を批判していくより良い戦略を提示する。なぜならこれは、非常に論争のある道徳的テーゼによるのではなく、議論を始めるのに十分である残酷であることの悪さ(wrongness)についての直感という最大限幅広い基盤を持つためである [5]。

そもそも純粋に世界から苦しみを取り除きたいと考えるものたちの全てが、専門的な知識や堅固な倫理的見解を持って取り組みをしなければならないというわけではないし、苦しみに焦点を当てた倫理という大きな傘が存在することで、何か行動を起こしたいと考えているものたちが、そこに飛び込み、細かな見解の違いに阻まれることなく、苦しみの根絶という目標に向かって他者と協力して取り組むということも容易になるだろう。

快と苦の間にある非対称性を認め、苦しむものたちを優先的に気にかける思いやりある社会を実現するためには、まずより多くのものたちがこの傘の下に集まる必要がある。細かなことを気にする必要はない。何より苦しみを優先的に回避および除去することが重要であるということは、誰もが共有できる認識である。SFEを掲げ、苦しみの根絶に取り組もう。


Footnotes

1. サム・ハリス自身はSFEに直接関連する議論をしているわけではないし、SFEの文脈で彼が言及されることもほとんどないことは注意しておく。
2. ネガティブ功利主義については TheRealArgブログ記事 http://therealarg.blogspot.com/2017/11/blog-post.html 参照
3. 例えばTheRealArg ブログ記事 http://therealarg.blogspot.com/2018/03/blog-post_24.html 参照

References

  • [1] Brian Tomasik. Reasons to promote suffering-focused ethics. Foundational Research Institute, 2015.
  • [2] Sam Harris. The moral landscape: How science can determine human values. 2011.
  • [3] Sam Harris. CLARIFYING THE MORAL LANDSCAPE A Response to Ryan Born. samharris. org, 2014.
  • [4] David Benatar. A justi cation for rights. PhD thesis, University of Cape Town, 1992.
  • [5] David DeGrazia. Regarding the last frontier of bigotry. Logos: A Journal of Modern Society and Culture, 4(2), 2005.

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