ベネターのアンチナタリズムとプロモータリズム~基本的非対称性は自殺を示唆するのか

ベネターのアンチナタリズムとプロモータリズム
~基本的非対称性は自殺を示唆するのか~

デイヴィッド・ベネター(David Benatar)の非対称性に基づくアンチナタリズムへの批判的指摘として頻繁に行われるのは、ベネターの非対称性はアンチナタリズムだけでなく、プロモータリズム(pro-mortalism)をも導くというものだ。 サム・ハリス(Sam Harris)もベネターと議論できる貴重な時間の多くをこの点に割くことで無駄にした。 だがこの主張は誤りである。

プロモータリズムとは、存在を続けるより自殺をする方が好ましいと考える立場を指す。ベネターの基本的非対称性がそのような立場に導くという推論はこうである:
(1)存在はやめれば苦は不在になるため良い(good)
(2) 存在をやめれば、快を欠如するものがいないため、悪くない(not bad)
(3)よって、ベネターの基本的非対称性にあてはめれば、存在を続けるよりは、存在をやめる方が好ましい。

(2)の前提となっている、死んだ後は快を奪われるものが存在しないのだから、死そのものは誰からも何も奪わない、という見方はエピクロス主義的な見方と呼ばれる。 だが、多くのものはこの見方を採用せず、何らかの意味で有感な存在者にとって死は何かを奪うものだと考えているだろう(つまり、存在をやめることで快が奪われることはbadであるという判断だ)。 そして、ベネターの非対称性がエピクロス主義を示唆するということもない。

ベネターの非対称性がエピクロス主義を導くという認識は、そもそも彼の非対称性の主張を誤解していることから生じる。

この推論の誤りは、ベネターが基本的非対称性で功利主義を前提に据え、それを(生まれてない場合と生まれた場合の比較以外での)あらゆる場面で適用される価値判断基準と主張していると勝手に誤解していることから生じる。

べネターが非対称性の議論で行っているのは、彼自身明示的に注意しているように、快が+で苦が-で…と計算をして生の価値判断をしろ、ということではないし、快が善で苦が悪という価値基準を一般的なものとして採用しろ、ということでも決してない。これらは「始める価値のある生」と「続ける価値のある生」を区別して議論していることなどからも明らかな話だろう。

しかし、ベネターが苦を絶対的に悪であると前提にしているというのは、よくある大きな誤解の一つだ。ベネターは議論は自殺や種全体の虐殺を支持するものだという批判に対して

この議論は、何であれ、苦しみの総量を最小化することをしないといけない、ということを前提にしている。…そのように考えることもできるが、私のアンチナタリストとしての見方に、そう考えることを要求するものは何もない。

答えている

彼が基本的非対称性の前提としているのは苦の絶対悪性ではない。彼が前提に置いているのは、彼の非対称性はそもそも―それが導くある一つの結論を除いて―極めて一般的に受容されている判断基準だろうということだ。そしてそれを根拠づけているのが、より具体的な状況について述べた、別の4つの非対称性:

(i)生殖の義務の非対称性―苦しむ人々を生み出さない義務はあっても、幸福な人々を生み出さなければならない義務はない。

(ii)将来の利益の非対称性―子供を作ることを、それによって利益を受けたいという子供の意志を理由にするのは奇妙である一方で、潜在的な子供の受ける害を理由に、子供に存在を与えるのを回避することは奇妙なことではない。

(iii)回顧的な利益の非対称性―苦しむ子どもを生み出すことも、幸福な子を生み出せなかった場合も、ともに後悔する対象となりうるが、本人のために後悔できる/気の毒に思えるのは苦しむ子供を生み出した場合だけであり、幸福な子供を生み出さなかったことで、本人のために後悔できる/気の毒に思えることはない。

(iv)遠隔地の苦しみと幸福の不在の非対称性―苦しみに満ちた異郷の地の住民について悲しく思うことはあっても、誰も存在していない場所に、そこに存在し得た幸福な人がいないことを、彼らのことを思って悲しく思ったりはしない。

である。これらの4つの非対称性を統一的に説明するためには、「苦の存在はbad、苦の不在はgoodだが、快の不在はnot badであってbadではない」というベネターの非対称性を受け入れるしかない。そして、この非対称性を受け入れるのに、例えば義務論者であるとか功利主義者であるとかは関係ないし、また、これらの非対称性は存在を得ていない場合と、存在を得た場合の比較であって、すでに存在しているものが存在を続けるうえでの判断を行う場合や、存在を続ける場合と存在をやめる場合との比較を行っているものではない。

よって、「ベネターは(ネガティブ)功利主義的土台から基本的非対称性を提示し、それによって存在より非存在の方が好ましいと主張しているため、存在者にとって、存在を続けるよりも存在をやめることも好ましい」という主張を展開することは最も稚拙な誤りの一つなのだ。

ベネターの基本的非対称性を退けようとする試みは多く成されている。例えば「存在しないものにとって良いということはない(苦の不在はgoodではなくnot bad)だ」とか「苦は必ずしもbadではない」などの主張だ。前者は論理的にそうは可能でも、他の4つの非対称性について不可解な結論を導くし、後者はすでに始まった生についての考えと混同している(非対称性の理解の仕方について詳しくは『ベネタリアン的非対称性の評価の仕方 』を参照)。

いずれにしても、ベネターの非対称性を疑うために、より抽象的な哲学的議論の海に潜り込むことは出来るが、その結果ベネターの基本的非対称性を退けられたとしても、アンチナタリズムよりはるかに非直感的な結論が導かれ、改めて水面から顔を出した時には、景色は一変してしまっている可能性がある。批判者が無視しているのはこの点である。

そして、改めて強調しておくと、ベネターは基本的非対称性にいかなる具体的な倫理的立場も仮定していない(選好功利主義もネガティブ功利主義も仮定していない!)。そのため、例えば中絶についてどう判断を下すかについても、アンチナタリズムとは別の見解を結合させる必要が述べている。それと全く同じように死が害であると判断するかどうかは、ベネターの非対称性とは独立した問いであり、何らかの外部の価値判断基準を持ち込まなければならない。もちろん、エピクロス主義を採用するものもいるだろう。だが

XにYを組み合わせた場合にZを導出する、ということは、XがZを必然的に伴う、あるいは含意するということにはならない。

述べているように、それはベネターの非対称性やアンチナタリズム一般と必ずコミットするものではないし、エピクロス主義者ではないベネターや他のアンチナタリストが、何らかの矛盾を抱えるということにもならない。

もう一つ重要な原則は、道徳的な判断において、我々は慎重すぎるほどに慎重になる(err on the side of caution)べきである、ということだ。ベネターの見解も、死それ自体が害であるかどうかはなどの哲学的に答えの得られていない問題については、我々は慎重な態度を取るのが賢明である、というものであり

もしエピクロス主義が間違っているなら、(他者や自身を殺すことで)エピクロス主義的議論に従っている人たちは、殺されるものに深刻な危害を及ぼしていたことになる。一方私の見方が間違いであっても、(子供を生みださないことで)私の見方に従っていたものが、存在を得なかったものを害していたということにはならない。

とも述べているように、アンチナタリズム(生殖の否定)を適用する限り誰も害されることはないが、それを向う見ずに拡大解釈することは危険を持つ。

つまり、生殖が悪かどうかの合意が得られていないとはいえ、(少なくとも一部では確実に)それによって害を被っていると判断できるものが存在する以上、慎重な態度を取り、アンチナタリズム的な判断をすべきであるが、一方で殺しは、それが大きな害となりうるという十分な可能性があるため、慎重な態度として逆の判断をすべきなのである。よって、アンチナタリズムとエピクロス主義的態度はその点で真逆なものと言える。

ついでに、ナタリズム―他者に同意なく苦痛と死を押し付ける生殖という行為を容認する立場―こそ、論理的には他者に危害を加えたり殺害することも容認する立場と解釈できることを指摘しておきたい。


参考文献


ベネターへの批判の大部分は、そもそも基本的な事から正しく理解していないことから生じている。批判や意見を述べる前に、少なくとも一度ちゃんと彼の考えに目を通した方が良いだろう。彼の主張は極めてシンプルでクリアであり、それを扱うのにエキセントリックな議論をする必要は全くない。

まず基本として
Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence
を読み、主要な部分で曖昧な理解があれば、より簡潔にまとめられた
Debating Procreation Is It Wrong to Reproduce?
のベネター部分を読むと良い。それでも反論が浮かぶのなら
Every Conceivable Harm: A Further Defence of Anti-Natalism
および
それでも、生まれてこない方が良かった ― 批判への返答 by デイヴィッド・ベネター
を参照してほしい。大抵の人が思いつきそうな誤解や批判はすでに処理されている。

より簡潔に基本的非対称性のみについて目を通したいという場合は
ベネタリアン的非対称性の評価の仕方
を参照してもらいたい。



アンチナタリズム一般と自殺の関係については『アンチナタリストはなぜ自殺しないのか』を参照

エフィリズム/アンチナタリズムについてのさらなる議論はこちらから

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